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天国と地獄 ② 補足・些細なことなど編


こちらは 「東宝映画のロケ地を訪ねる・天国と地獄」補足・些細なことなど編 です。

「東宝映画のロケ地を訪ねる・天国と地獄 ①ロケ地編」では作品中の一コマを「できるだけ作品と同じ撮影位置と画角で現在と比較する」という、はたしてどういう意味があるのか、ないのか、よく分からないことに拘り、コツコツ、ウダウダとやってきました。ところがあまりクドクドとやっているうちに、1ページに収めるには少し長くなりすぎてきました。
それに、いろいろ調べているうちに、新旧の比較画面紹介にとどまらない、紹介したい事柄がズルズルと出てきたのです。

そこでここでは「天国と地獄」を「ロケ地」だけにはこだわらずに、調べている過程で知る事ができたこと、自分なりに推測したこと、教えていただいたエピソードなどなど、「天国と地獄」を楽しむ上でさらに興味をかきたたせてくれそうな事柄を紹介させていただきたいと思っています。

「些細なこと」と書きましたが、どうでもいいことという意味ではもちろんありません。「些細なこと」にこそ、真実が隠れていると思います。それを探せていけたら思っています。
ここでも多くの皆様のお知恵をお借りしましたことに感謝申し上げます。

目次



 浅間台の権藤邸はどこにあったのか

「天国と地獄」に登場する主人公、権藤金吾(三船敏郎)の住居は設定上「横浜市西区浅間台」ということになっています。
「東宝映画のロケ地を訪ねる・天国と地獄 ①ロケ地編」ですでに書きましたが、屋外に作られた「権藤邸」は二つあります。

一つは設定通り、浅間台に建てられたセットで、室内から窓越しに横浜市内の街並みが見えるシーンや、庭から横浜市内を見おろすシーンに使われています。セットとは言っても室内は綿密に作られ、映画を見ていると、まるで見晴らしのよい場所に建つ実際の邸宅を借り切って撮影されたかのようです。しかし外からは玄関周り以外は写されていませんので、外装は簡単なものだったのかもしれません。

もう一つは南太田に建てられたセットです。こちらは犯人竹内(山崎努)や、捜査中の刑事たちが権藤邸を見上げるシーンに使われています。浅間台のセットとは逆に外観に重点がおかれたセットです。しかし遠景ですが室内で子供が遊ぶ様子が見えるシーンがあるので、室内も簡単には作られていたと思われます。

ここでは浅間台に建てられたセットについて考えてみます。
「浅間台の権藤邸セット建設地点」は、現在はあるマンションになっている地点、というのが定説になっています。
定説は確かなようですし、実は確かな証言もあるのですが、私たちなりに(この検証については横浜在住のHさんの絶大な協力を得ています)もう一度検証してみることにしました。

「浅間台の権藤邸」の位置を特定するには、このセットから見える景色がおおいに参考になります。
邸内から撮影されたショットでも外の景色が見えますが、一番参考になるのは職を追われた権藤氏が庭の芝を刈っているシーンです(開始から1:27)。ここでは権藤氏が芝刈り機を押しながら左右に移動し、カメラもそれにつれてパンするので広範囲の景色を見ることができます。
それと、オープニングのタイトルバックで、この権藤邸の位置から撮影されたショットもいくつかあり、それらを組み合わせて「権藤邸から見えるパノラマ写真」を作ってみました。
そしてその左右の範囲に合わせて、現在権藤邸の位置に建つマンションから撮影(2014年7月22日撮影)した様子と対比してみました。
下の画像をクリックしてください。拡大画像が表示されます。



↓ このパノラマ写真から見える物件に説明を入れてみました。 それを地図上で照らし合わせたのが下の地図です。
これも画像をクリックすると拡大されます。



地図は横浜市公開の1964年の住宅地図です。映画公開の翌年ですので建物の形(特にここで重要なのは学校の校舎の配置。現在はいずれも建替えられている)に大きな変化はないようです。

そして権藤邸の方向的な位置を特定するために接点を設けてみました。なかなか方向的に一致する接点が見つからないのですが岡野中学校の校舎の角からやや北東寄り(塔屋の位置・パノラマ写真参照)と平沼高校の校舎の端が方向的に重なるので延長線を引いてみました。緑の線です。その線上には定説通りのマンションが建っていました!

Hさんの友人のお父様の証言
「家の真上にセットを作って、たしか外観はベニヤ板むき出しで撮影していたはず。あっという間に出来てあっという間に撤去された」
とのことです。Hさんの友人のお住まいの位置からして、浅間台の権藤邸はもうここで間違いなしです。


さて、1963年6月29日に横浜市を撮影した航空写真があります。
1963年6月29日というと「天国と地獄」が公開された4ヶ月程後ということになります。(1963年3月1日公開)
試しに権藤邸のセットが建っていたとされる位置を見てみました。 その付近を現在の地図と並べて比べてみましょう。
右側、1963年6月29日撮影の航空写真で権藤邸があったと推定される位置に何か建物が写っています。大きさ的には、まあ、権藤邸くらいの。
これ、何でしょう。もしかしたら・・・・さあ、面白くなってきました。



現在、この位置には先ほどから書いているマンションが建てられています。このマンション、調べてみると1975年2月に竣工したようです。「天国と地獄」公開から約12年後です。
この航空写真に写っている建物が、権藤邸のセットがまだ取り壊されずに残っているのではなく、セット取り壊し後、すぐに(航空写真撮影日の1963年6月29日に間に合うように大急ぎで)建った新しい建物だとしたら、マンションの建築期間も考慮に入れ、長く見積もっても築10年くらいでまた取り壊されたということになります。あり得ないことではないでしょうが。



Hさんの友人のお父様の「あっという間に出来てあっという間に撤去された」という証言があります。
しかし実物と見まごうような豪邸が建てられ、何ヶ月かで惜しげもなく壊されたとしたら、それこそ「あっという間」と感じても不思議ではないような気はします。
(2014年8月14日・記)




そしてそしてさらにHさんから耳寄りな情報が!
「ちい散歩」というテレビ番組がありましたが、その中の2011年12月19日放送分で地井武男氏は浅間町を歩いています。地井氏が
「仲代(達矢)さんも俳優座の先輩だったし、山崎(努)さんも俳優座の先輩だったから、ものすごく誇らしく見たのよ。自分の先輩たちがこんな映画に出てるって。すげえなあって思って。・・・なるほどなあ、昔の黒澤さんの映画の『天国と地獄』の三船さんの邸宅から下を望という景色ではもう今はないですが・・」と説明していると、ご近所に住んでいる年配のご婦人が通りかかります。
「今日は浅間台なの? ここ上がってくとねえ、昔『天国と地獄』って撮影したとこなの。で隣が黒澤明さんが持ってたんだけど、今はもうライオンズマンションが出来ちゃって・・」
えっ??黒澤さんが持っていて!!
「隣」というのは敷地の隅の方(南側)にセットが建てられ、セット取り壊し後、敷地全体にマンションが建てられたので「隣」というイメージになったのではないでしょうか。実際、権藤邸のセットは現在建っているマンション建物の南端内部に位置していました。
権藤邸のセットが建てられたのは黒澤監督の所有地だったようなのです。テレビで放送されたのですから、おそらく裏付けはとれている事実のように思うのですが。いやあ、そうだったのかあ!

「ちい散歩」YouTube動画

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と書きました。しかし訂正します。

W様という方からご連絡をいただきました。
前掲の航空写真にある「コノタテモノ」と記した建物にお住まいになられていたのだそうです!
この建物はセットではありませんでした。W様邸でした。訂正いたします。W様、大変失礼いたしました。
権藤邸セットはW様邸の東側、航空写真の説明で「芝の庭」と記した位置だったそうです。
撮影終了後、セットは解体されW様の建物の建築が始まります。竣工が1963年秋、1972年に移転され、現在建っているマンションの建設が始まることになります。航空写真の撮影は1963年6月29日となっていますので、W様邸が建築中ということになるのだと思います。
前記で「マンションの建築期間も考慮に入れ、長く見積もっても築10年くらいでまた取り壊されたということになります。あり得ないことではないでしょうが」としましたが、あり得ることだったのです。
W様、ご連絡、本当にありがとうございました。毎日、映画の権藤氏と同じ景色をご覧になられていたとは羨ましい限りです。おかげさまでまた真実に一歩近づけた気がいたします。
(2017年5月22日・記)




 その権藤邸の位置から撮影したテレビドラマがあった

そのテレビドラマとは「俺たちの勲章」。1975年に日本テレビ系列で放送された刑事ドラマです。松田優作、中村雅俊が刑事役として主演しています。
下の画像はその中の「第7話・陽のあたる家」からのものです。
中村雅俊さんは「天国と地獄」の権藤邸セットの跡地に建てられたマンションのベランダにいます!
「天国と地獄」の画面にも写っている「横浜市立岡野中学校」と「神奈川県立平沼高校」の二つの学校が同じ位置関係で見えています。





↑ 「俺たちの勲章」の中で映し出されるマンションの画像です。前述したようにこのマンション、1975年に竣工なので出来立てのホヤホヤだったわけです。この画像はマンションを東側(学校がある方向)から見たところです。マンションのすぐ左側に権藤邸に似た建物が写っていますが、これは違います。



↑ 左の画像は「天国と地獄」の権藤邸内で、権藤の息子純と、運転手の息子進一が西部劇ごっこをしている場面です。進一が倒れているところの窓の外、すぐ近くの所に木造の建物の屋根が見えます。そして右の「俺たちの勲章」からの画像、同じ屋根が見えています。
この屋根は「天国と地獄」では権藤邸、そして「俺たちの勲章」ではマンションのすぐ隣と言ってよい位置にある「横浜市立浅間台小学校」です。現在では鉄筋の校舎になっています。



私は松田優作、中村雅俊のテレビドラマ、しかもカラー作品というと、天国と地獄が公開された1963年と、現在との中間くらいの時代かな、という印象なのですが、よく考えてみると「俺たちの勲章」は1975年の作品なので全然中間ではなくて、ずっと「天国と地獄」寄りの時期なのですね。「天国と地獄」から12年後の作品ということになります。
道理で、と言っていいかどうか分かりませんが、ドラマに写し出される景色は「天国と地獄」の時代と大きくは変わっていません。中村雅俊さんの向こうには「天国と地獄」にあったような工場地帯も見えます。このあたりは現在の「みなとみらい」です。
Hさんは「本当に当時は『天国と地獄』の世界でした。1980年代になってから急激に変わりましたね」と言います。

「俺たちの勲章」は東宝が制作したドラマです。このマンションが使われたのはその関係かどうかは定かではありませんが、このマンションが登場する「第7話・陽のあたる家」は違う監督ですが、出目昌伸氏が監督をしている回が二話あります。出目氏は黒澤監督の元で助監督を務められていた方です。
また、主演の松田優作さんは黒澤監督を崇拝していて、六月劇場の研修生だったころ、黒澤明監督の自宅を訪問し、3日間座り込んで弟子入りを迫ったという経歴の持ち主です。
こう考えると「偶然、同じロケ地だった」ではないような気がします。
しかし少なくとも「俺たちの勲章」のスタッフや出演者の間では『ここはあの『天国と地獄』の権藤邸のセットが建てられた場所らしいよ』と会話がされたであろうことは確かでしょう。

(協力:原田教隆さん 文中・Hさん)




 「あの家が邪魔だ!壊せ!」

「無事な子供の姿を見せろ、これが絶対の条件だ」
権藤氏は身代金の支払いを承知した時の電話で、竹内にこう要求します。
竹内はどういうやり方で子供を見せたのか。それは走行する東海道線の「特急第2こだま」の車中から、屋外に立たせた進一の姿を見せるという方法でした。 「特急第2こだま」に乗った権藤氏や刑事たちの目、映画を観ている観客の目が進一が立っているはずの酒匂川のたもとに集中します。一番緊張が高まる大事なシーンです。
この列車からの子供確認シーンで、黒澤監督は「あの川沿いに建っている建物が邪魔だから壊せ」と言ったといいます。その建物の二階部分は取り壊わされ、撮影後には元通りに作り直した、という話が伝説のように伝わっています。「二階は子供部屋であったがそれを取り壊した」とする説も聞いたことがあります。

↓ これは酒匂川にさしかかろうとする時に田口刑事が先頭車両の運転室で身を伏せて8ミリカメラを回しているカットです。この赤円で囲んだ建物が、「二階部分を壊された建物」と伝えられている建物ではないかと思われます。円内の左上に進一と共犯者が見えています。
もしこの家の屋根がもっと高かったら、確かに子供と共犯者は見えにくくなりそうです。




↑ 列車がもう少し(ほんの0.何秒か)進むとこのように見えます。
建物上部が取り払われ、一時的に低くした状態であることが分かります。

さて、この二階部分を取り払ったと言われている建物ですが、出来ることなら「撮影前の本来の建物の様子」または「撮影のためにいったん建物上部を取り壊したが、撮影後にまた元通りに直した状態」を見てみたい、と当然思います。
下の写真は映画製作時の資料なのですが、赤円内に件の建物が写っています。屋根を見ると整った形をしています。この写真が映画撮影前の建物上部を取り払う以前の写真なのか、撮影が済み、建物上部を修復した後の写真なのか分かりませんが、いずれにしても二階建てではありません。平家です。
これを見ると、どうやら「二階部分を取り払った」というのは少々話が大げさに伝わってしまったことで「撮影のために一時的に平屋建ての建物の屋根を低くした」が真相のように想像しています。
それにしても撮影のために建物上部を取り壊したのは事実のようで、そこまでするのはいかにこのシーンが大事に考えられていたのかかが分かるような気がします。



↓ もう一つ。1952年に公開された小津安二郎監督の「お茶漬の味」という作品がります。その中で木暮実千代など、ご婦人4人が温泉旅行に出かけることになります。彼女らは下りの東海道線に乗り酒匂川を渡るシーンがあるのですが、その時、件の建物と同じものと思われる建物が写ります。公開時期に11年の開きがありますが、おそらく同じ建物ではないでしょうか。これを見ても二階建てのようには見えません。


↑ 「お茶漬の味」(1952)より


↑ これは1962年12月7日撮影の航空写真です。作品でのこだま号の撮影は1962年10月22日となっていますので、この航空写真はその約一ヶ月半後の撮影ということになります。
屋根を低くした家だと思われる建物を赤円で示しました。この時はもう黒澤組の手(?)により綺麗に直されているはずです。
東海道新幹線の鉄橋が見えますが、この時点ではまだ工事中で未開通です。 青帯で示した部分はこの後増設されることになる東海道線旅客線で、屋根が取り壊された家も、進一が立っていた位置もその線路の下になってしまいます。



↑ 横浜市立図書館で1966年の当該地点の住宅地図を閲覧し、コピーしたものを見せていただきました。
「屋根を壊した建物」は「小ヤ」と記されています。



↑ 対岸の様子も見てみましょう。特急こだまが走る進行方向左側にはカバンを受け取る共犯者がいます。線路下をくぐる側道の様子からその位置も正確にわかります。対岸の工場は「カネボウハリスガム小田原工場」と記されています。ボースンが構える8mmカメラ越しに一瞬「HARIS GUM」の看板が見えました。

(資料提供:原田さん)




 刑事が乗るクラウン、外観用と室内用では別車種



田口(石山健二郎),荒井(木村功)の両刑事は警察の車を使い捜査を行います。
使用する車種は黒塗りのトヨペット・クラウン。「観音開き」と呼ばれる初代のクラウン。説明するまでもなく当時の日本を代表する4ドアセダンです。
車内のシーンで、後部座席から前方を撮影したアングルのショットが何回か出てきます。運転席と助手席に並んで座る二人の刑事の後姿が写っています。

情報を提供していただいたTさんは疑問に思いました。

「後部座席に当時のカメラが載ったか? クラウンのワゴンタイプ『マスターライン』ならその点は問題ないですが・・」

おお、なるほど!たとえクラウンの後部座席にカメラが載ったとしても前席の二人を同時に捉えるほどの距離を確保するのは難しいように思えます。ファインダーなどとても覗けないでしょう。やはりワゴンタイプなのか? 乗用車タイプの「クラウン」とワゴンタイプの「マスターライン」、後ろ半分は大きく違いますが、前半分は基本的に同じで見分けは付きにくいのです。

見つけました!
下の場面、刑事のクラウンが横浜新道の料金所を通過します。田口刑事は料金所係に警察手帳を見せます。カメラは左に少しパンします。その時、矢印の所に二本(片側)のバーが取り付けられているのが画面に現れます。これは積荷から窓ガラスを保護するガードで、ワゴンタイプ(マスターライン)特有のもの。セダンタイプ(クラウン)には無いものです。

さらにTさんは。
「ダッシュボードには筆記体でTOYOPET CROWNとありますが・・」
そうなのです!クラウンベースのワゴンタイプはクラウンの名は付かなく「トヨペット・マスターライン」。だからこのパネルもセダンタイプの物に付け替えてあると思われるのです。いや、すごいな!
ちなみにこのパネルの位置にはオプションでラジオが付きます。





(情報提供:高橋修二さん・文中Tさん)




 トヨタタイアップ説



この映画ではトヨタ車をよく見かけます。刑事が捜査に使用しているクラウンもそうですし、犯人が逃走に使用したのもクラウンです。その映像や「灰色のトヨペットクラウン59年型」というセリフも登場します。「坊やが乗せられた自動車はこれだろ?」とクラウンのカタログまで出てきます。気をつけてみると他にトヨタのトラックなども登場します。
ロケ地探しに協力していただいたHさんは、これはちょっとトヨタ車が出過ぎではないかと「トヨタタイアップ説」を推測しています。
前項で二人の刑事が乗っているクラウンの室内シーンは、実は乗用車タイプのクラウンではなく、クラウンのワゴンタイプ「マスターライン」を使用しているということを書きました。室内シーンで写るダッシュボードの「TOYOPET CROWN」のパネルはマスターラインには付いてなく、乗用車タイプのものに付け替えられている可能性があります。

Hさんは推測します。
「ひょっとしたらダッシュボードのパネル交換は、黒澤的なこだわりではなくトヨタとのタイアップが関係しているのかもしれませんね。 スクリーンで「TOYOPET CROWN」のパネルが映れば相当の宣伝効果ですよ。
オープニングの風景で「横浜トヨペット本社」のネオン看板も映りますしね。 映画館のスクリーンで見れば看板文字が普通に読めるはず? あと、映画では夕方っぽいけど、実際には明るい時間帯なのに(他のオープニング場面で高校の生徒が運動しているショットがある)横浜トヨペットのネオン看板だけが全点灯しています」
なるほど、タイアップ説、説得力ありますね。日産の人は「何故セドリックを出さない」と思ったかもしれません。




タイアップで思い出したことがあります。
加山雄三の若大将シリーズの中に「日本一の若大将」(天国と地獄公開の前年、1962年公開)という作品があります。
澄子(星由里子)はスポーツ用品店の店員で、ダイハツの軽三輪トラック、ミゼットを運転しています。ミゼットのボディには「メトロスポーツ」「SILVANO」と描かれています。作品中に「メトロスポーツ」という店名の店舗(セット)も出てきます。

「天国と地獄」で刑事が竹内を尾行する伊勢佐木町のシーン(セット)で、竹内は突然、花屋に入ります。するとすかさず刑事の1人(名古屋章)が向かいの「METRO SPORTS」と描かれた商店の二階に駆け上がり、双眼鏡で花屋の店内を見張ります。その刑事が顔を出す二階の窓の横には「SILVANO」と描かれた看板が写っています。
「SILVANO」のロゴは「日本一の若大将」の時と同じです。
「メトロスポーツ」店舗のセットは両作品それぞれ別物で、セットを使い回しているわけではないようです。

現在、「メトロスポーツ」「SILVANO」を検索してもそれらしい記述は見あたりません。架空のメーカーなりブランドだったのなら、二つの作品に共通して出てくるのがどうも謎です。



↓ どうも謎だと思っていたら、Hさんがネット上でポスター探し出してくれました。当時に実在したスポーツ器具のメーカーだったようです。やはりタイアップでした。(2017年7月記)




↓ もう一つタイアップに関して。
東宝映画は清涼飲料の「バヤリースオレンジ」(当時の表記は「バャリースオレンヂ」)とタイアップしている作品が数多くあることは有名です。「天国と地獄」にも「バヤリースオレンジ」が登場しています。特急第2こだまの車中で居眠りしている荒井刑事の窓際に「バヤリースオレンジ」のビンが置かれています。これはタイアップでしょうか。
しかしビンに印刷されている「Bireley's」と書かれたマークが横を向いてしまっていて読み取ることがでず、タイアップだとしたら目的が達成されていません。
これは全くの想像なのですが、タイアップを受け入れたのも関わらず、あまりにもあからさまなタイアップ表現を嫌った監督のささやかな抵抗だった、という気がしないのでもないのですがどうでしょう。






 使われなかった横浜髙島屋配送部シーン



「警察には知らせるな」という犯人からの指示にもかかわらず、権藤氏は「運転手の子と分かったら、ゆすりの種にはならん」と指示を無視して警察を呼びます。すると警察はデパートの配送員を装い権藤邸を訪れます。上の画像はそのシーンです。
ところがそのシーンのたぶん直前の位置に、刑事たちがデパート(横浜髙島屋)に配送員の作業着と配送車を借りに来るシーンが存在したようで、実際に撮影もされていたらしいのです。
今回、いろいろご協力いただいたHさんはカメラマンをしてらして、以前、髙島屋宣伝部のお仕事をされていたそうです。その時に知り合われたデザイナーさんの奥様が横浜高島屋の元社員の方。(偶然にも映画にも登場する腰越漁港の網元の娘さん)
「その方に聞いた話なのですが閉店後に店内でロケがあったそうです。社員へのエキストラ出演要請もあって出演した社員が映画を見に行ったらそのシーンがすべてカットされていて憤慨したそうです」

そんなシーンがあったのですね。それがどのような映像だったのかぜひ見たいものです。何故カットされてしまったのでしょう。>
しかし、権藤氏が警察に通報する、すると次の場面では高島屋のトラックが権藤邸に来る、誰かと思えば警察の変装。という展開は確かにスピーディで鮮やかです。

(協力:原田教隆さん 文中・Hさん)




 ナショナルシューズの工場はどこで撮影されたのか



ボースンこと田口部長刑事は権藤氏の怨恨関係を捜査するために、権藤氏が常務を務める「ナショナルシューズ」の工場を訪れ、工員(東野英治郎)から権藤の評判を探るという場面です。
工場はセットではなく、実際の靴工場のように見えます。だとしたらこの工場はどこだったのか。
東京都立皮革技術センターの出版物に「かわとはきもの」という冊子があり、その中に大塚製靴に勤務されていたW氏による「詩歌・小説の中のはきもの」という連載があり、そこに、
「黒澤明・三船敏郎コンビの『天国と地獄』で映画化された、東野英治郎の登場する靴工場のシーンは、私が勤務していた横浜の工場で撮影された」
との記述を見つけました。
工場内のロケ地は日吉(神奈川県横浜市港北区日吉本町)にある大塚製靴の横浜工場でした。
それにしても工場の外観が写るわけでもなく、ロケはどこの靴工場でもよかったはずですが、偶然なのか同じ横浜市内ということになります。
劇中、ナショナルシューズの重役の台詞で「あのオヤジときたら堅牢無比、兵隊靴が理想の靴なんだからな」というのがあります。これも偶然かもしれませんが、社史によると大塚製靴は海軍省、陸軍省へ靴を納入していたとのことです。
この大塚製靴の工場、現在はマンションとなっていて見ることはできません。

(協力:原田教隆さん)




 極寒の真夏

資料によると「天国と地獄」は1962年9月2日クランクイン。まず撮影所で権藤邸での密室劇の撮影が40日間行われたそうです。10月16日からは浅間台のオープンセットでの撮影。そして10月22日に「特急こだま」を借り切っての撮影。
江ノ島付近のロケ(青木親子の独自捜査、腰越漁協、腰越の別荘など)は12月初旬からとなっています。
そして年を越し、横浜県警の屋上シーンが1963年1月22日、伊勢佐木町、黄金町のオープンセットでの撮影は1月下旬の厳寒の中、ということになっています。
ロケシーンは冬に撮られているのですね。

ご覧になれば分かるように、この映画の設定は暑い季節です。9月3日にこだま号での身代金受け渡し、という設定になっています。刑事達は汗を拭き拭き、残暑の厳しい中、捜査をします。ところが屋外撮影されたのは実は冬。しかし俳優さんたちは寒いのに半袖を着て、さも暑そうに演技をしています。俳優さんばかりではありません。遠くにほんのちょっとだけ写るエキストラさん達も、もちろんちゃんと夏の服装をしています。このへんの「仕込み」は半端ではありません。

暑そうなのに実は冬。
スタジオの撮影では、その時の実際の季節と、描かれる季節とが違うことは普通にあることなのでしょうが、ロケで真逆の季節を再現するというのは何とスリリングなことでしょう。
ここを分かってこの作品を観るのと、分からないで観るのとでは、だいぶ違いがあると思うのです。

では「冬なのに暑そうに見せている」主だったロケシーンを見てみましょう。



↑ 上に挙げたのは、ほんの一例。一番左上に挙げたのはタイトルバックのシーンですが、道路を渡る白いワイシャツ姿の大量のエキストラには驚きます。一番右上は横浜新道料金所手前で休憩する人たち。こういう何気なく写っている人も、たまたまいた人ではないと思います。
下4枚。比較的大きく写っている通行人。真夏の服装をしています。暑そうな仕草で歩いていたり、日傘をさしていたり。自然な歩き方一つでも多分難しいもの。素人のエキストラではないでしょう。





↑ 捜査会議の場面で、犯人が列車電話をかけたのは、有楽町のガード下にある、たばこ屋の赤電話だということが報告されます。その時に有楽町ロケのシーンが挿入されます。

わずか7秒ほどのワンカットです。最初の部分で高架線路を走行する山手線の車両が写ります。するとカメラはすぐに下に向けられ、たばこ屋の前で刑事が聞き込みをしている構図になります。
その一瞬写る山手線を見てみましょう。この時代、国電に冷房は付いていません。夏は風を入れるために窓を開けたものです。この画面でも窓を開けているのが分かります。冬なのに。
当時山手線に使われていた101系車両の窓は上下二段に分かれていて、開ける場合、通常は下側の窓を上に持ち上げて、上の窓と重なるようにします。下半分が開くわけです。実は上の窓も開きます。持ち上げると、窓の上の壁部分に収納されます。画面の右端の窓がその状態です。

想像ですが、撮影日、手前の新橋、あるいはもっと手前から、いや、おそらくかなり手前でしょう。関係者、あるいはアルバイトの人たちなどで先頭車両だけが埋め尽くされたのではないでしょうか。事実上、貸切状態しておいて、寒いのに窓を開けたのではないでしょうか。
運転席を見てみましょう。運転手がうっすら写ってます。分かりやすいように拡大してコントラストを上げてみました。ネクタイをして上着を着ています。やはり冬です。乗務員の乗降用扉の窓(開ける時はガラス部分を下に落とし込む式)は開いています。これは国鉄にお願いしたのか?
7秒のカットの中の1秒か2秒ですよ! すごいなあと思います。





↑ 暑そうに見せている電車ネタをもう一つ。
まずボースンと荒井刑事が海岸沿いに車を停めます。三角窓はもちろん開けています。寒いのに。
(三角窓についてちょっと説明しましょう。今の乗用車にはありませんが、フロントピラーの直後に付いている三角形の窓で、上下に支点があり、くるっと回して斜めに開けることができます。車にエアコンなどまだ一般的ではない時代、暑い時は三角窓を開けて風の入りをよくしたのです。現在もミニバンなどには三角窓のようなものが付いている車種はありますが、ハメコロシになっていて開かないです)
そしてボースンたちの車と並走して、後ろに江ノ電が通ります。江ノ電の乗客も全員白っぽい夏の服装。静止画では分からないのですが、窓際に扇子であおいでいる乗客もいます。芸が細かいなあ! この江ノ電は貸切りか!? 貸切りは「特急こだま」だけではなかったのか!?
江ノ電の運転手、これも白っぽい夏服です!

ちなみに、この場面に登場する江ノ電100形の107号車、現在は鎌倉市に寄贈され、鎌倉海浜公園に展示されています。この画面に映っている車両、そのものに出会うことができます。(Tさん情報)





↑ しかしちょっとした失敗を見つけるのも楽しみのうちです。
画像の場面は刑事達が夜の横浜伊勢佐木町で、犯人竹内を尾行をするシーン。
砧の東宝撮影所屋外にある「東宝銀座」と呼ばれる銀座を模した街角のセットを、伊勢佐木町風に改造して撮影したそうです。私は最初、これがセットだとは信じられませんでした。
このオープンセットでの撮影は1月下旬ということになっています。犯人や刑事達、通行人は真夏の服装で演技しています。しかし1月末の夜は極寒も極寒。吐く息が白くならないように口に氷を含んで演技をしたらしいです。
しかし、うだるような暑さの伊勢佐木町で尾行する刑事の口から、煙草も吸ってないのに一瞬、白い息が出てしまうのでありました・・・

そういえば黒澤監督のもう一つの刑事作品「野良犬」も暑そうですね。村上刑事役の三船敏郎がギラつく太陽の下で捜査するのが印象的でした。執念を燃やす困難な捜査は暑い時に限ります。




 写ってはいけない人たち

「天国と地獄」は現代劇なので、ロケシーンをふんだんに使って臨場感を高めて・・・と言いたいところなのですが、実は意外と、受ける印象ほどロケシーンは多くないのではないでしょうか。物語のほぼ半分は占めていると思われる権藤邸はセットでの撮影、こだま車内も移動するセットのようなもの、捜査本部もセット、夜の伊勢佐木町や黄金町の麻薬街もセット。ロケ撮影は刑事たちが捜査会議で、それぞれが担当した捜査状況をカットバックで説明される場面、青木が息子を乗せて捜査の手伝いをする場面、青木親子とボースン、新井刑事が腰越の別荘に行く場面、あたりが主なロケシーンになると思います。あ、それとオープニングクレジットの背景画面ですね。それにしてもロケシーン全部を合わせても尺的にはそれほど長くはないと思います。その代わり、一つ一つのロケには、それこそ命を賭けている、といった具合です。

映画のロケ撮影の場合、準備されたエキストラではなく、たまたまその場を通行していた一般人が写り込んだからといって、場合によってはけして失敗とは言えないでしょう。そういう映画はいくらでもあるでしょうし、むしろその方が普通かもしれません。
しかし「天国と地獄」の場合、前項でも書きましたが、実は冬なのに暑い季節に見せかけた撮影をしています。その苦労をしているからこそ、この映画は面白いのだ、とすら感じられます。
画面に映る人間は薄着をして暑そうにしていなければなりません。冬の服装をしている一般人は写らないようにしなければならないのです。そのため「天国と地獄」のロケ撮影では、夏服を着たエキストラが大量に投入されています。しかし公道での撮影の場合、一般人の通行を完全に止めることはかなり難しかったことと思います。通行する一般自動車や電車などが、うまい具合に画面に写るタイミングなどもあり、撮り直しは難しかったでしょう。どうしても「暑そうでない人」が写ってしまう。これは仕方がないと思います。
もちろん、ここにあげた例は全てが想像であり、「意図しなかった」登場人物とは言い切れません。暑くても厚着をしている人もいるでしょうし。



↑ 国道1号線で白バイが手配中のトヨペットクラウンを止めています。するとあまり夏っぽくない服を着たオジサンが自転車に乗って現れます。撮影スタッフの方に顔を向けて「ん? なにやってるんだ?」のようにも見えます。
このシーンでも道路の向こう側の歩道には、夏服を着た二人の大人と二人の小学生のエキストラが登場しています。小学生など、ほんの一瞬ですが。




↑ 運転手青木は息子進一を車に乗せて捜査の手伝いをします。酒匂川から国道1号線に出た時、夏の服装をしたエキストラの観光客が何人も歩いています。
遠くに目をやると、何やらもっこりした服装の人が2〜3人見えます。カメラを回している間、こちらに通行して来る車があまり詰めて来ないよう、待ってもらうことをお願いしているスタッフではないかと想像しています。




↑ 青木の運転する車が国道1号線を東に進むと、進一が「ぼく、あそこでオシッコしたよ」と言う場所に差しかかります。
ここでも夏服のエキストラが何人も登場しますが、ふと画面の右端に目をやると、何やら、うじゃうじゃと人影が見えます。何でしょう。みんな緊張して固まっているようにも見えます。これも想像ですが、スタッフの方々か、出番待ちのエキストラが寒いので上着を着込んで待機している、のように思えました。




↑ ボースン、新井刑事が乗ったクラウンが、例の夏服満載の江ノ電を背景に、海岸沿いに車を停めます。
それを見守る一人のご婦人。「演技」を意識していない「写ってはいけない人」はこういう自然な「演技」をしてくれるんだよなあ、と思います。

(協力・原田さん・三浦さん)




 モノ言わぬディテールが物語を語る

面白い脚本があって、俳優が熱演をして、だけでは物語に入り込め、印象に深く残る面白い映画が出来るものではないと思うのです。
特にこの「天国と地獄」のように身近な現在(当時として)の日本、東京とはまた違った横浜という地域、出演者たちの平凡ではない立場、が設定としてあるのであれば、それが自然に伝わる「モノ」が大きな役割を果たしているような気がします。「なんか不自然だな」とか「作り物っぽいな」と思わせてしまったらもうおしまいです。どんな「モノ」が物語を作り上げているのか探してみることにしました。登場順に見てみましょう。





↑ 浅間台に作られた権藤邸セット、横浜市街に向かって全面ガラス張り。大きなガラス窓はこの時代、豪華でモダンな邸宅の象徴のような気がします。
室内と屋外が同時に見えます。うまく明るさのバランスをとるために、スモークガラスが使われたそうです。権藤氏が窓を開けるカットがあります。その時、ガラスが二枚重なった部分が暗くなっているのでスモークガラスが使われていることが分かります。
豪邸とそこから見おろす下界、そのことを一つの画面の中で表現するのに、このスモークガラスがどうしても必要だったわけです。
このスモークガラス、イギリスから取り寄せた高価なガラスだそうです。しかし誤って一枚を割ってしまい、急いでイギリスから取り寄せたというエピソードを読んだことがあります。

余談ですが、この窓を開けるシーン、それまで静かだった(言い争いはうるさかったが)室内が、窓を開けた途端に街や港の雑踏が聞こえ、風が権藤氏の服をたなびかせます。映画を観ている観客の顔にも風が当たるかのような臨場感。このシーン、個人的には大好きです。





↑ 権藤邸のサロン。横浜の浅間台に建てられたオープンセットにしろ、砧の東宝撮影所に作られたセットにしろ、画面を見ていると実際の邸宅を借りて撮影したのでは? と思うほどリアルにできています。リアルなだけでなく、安っぽくないのですね。これは物語の設定上、特に重要なことだったのではないかと思います。
サロン内に配置された装飾を見てみました。まず壁に飾られた絵に目が行きます。これはポール・セザンヌ(1839-1906)による「水浴者たち」と題された絵です。
まさか本物でしょうか? インターネット上には、これを本物とする説もあるようです。
しかし黒澤作品の美術(セット製作や小道具の意)を多く手がけた村木与四郎氏へのインタビューをまとめた「村木与四郎の映画美術」(丹野達弥編・フィルムアート社)に下記のような記述があります。(三浦さん調べ)

* * *
黒澤組は熱との戦いですね。これではいくら美術好きの監督でも骨董や絵を飾って趣味を強調できません。
ここでは複製のセザンヌもどきをかけてますけど。権藤は上流の出じゃないからそれで良いんです。こちらとしても壁の装飾でかけただけなのに「あのセザンヌにはどんな意味があるんだ」って質問してくる人がいる。著作権がうるさいから、百年たってる絵ならなんでもいいやってだけなのに。でもそういう細部に目がいくくらい、何べんも観直してる人がいるんですね。
* * *

「熱」と言うのは照明の熱のことです。撮影現場は想像を超えた暑さのようです。どうもサロンに飾ってあったのは本物ではないようです。村木与四郎氏が言うのですから、ここではこの説を取りたいと思います。



↑ 「水浴者たち(大)」リトグラフ 横浜美術館

(協力・三浦さん・原田さん)





↑ セザンヌの下には置き時計が置かれています。見るからに高価そうです。
これはなんという時計なのか。アンティーク風に見えますが、本物のアンティークなのか、それともそれを模したデザインの現代の時計なのか。Mさん、Hさんが手を尽くして探してくれました。かなり近い形状の時計が、海外のオークションサイトに出品されているのを見つけました。19世紀フランスの時計のようです。
下のカラー写真の右3枚は同じ時計です。一番左は別のものです。これらと権藤邸に置かれた時計を比べて観ますと、振り子、上下左右の陶器(?)の絵柄にそれぞれ相違が見られますが、金属のフレーム部分は同一のようです。
権藤邸に置かれた時計。断言はできませんがフランス製のアンティークのような気がします。





↑ 今までさりげなく写り込んでいたこの時計、実はちょっとした伏線のような意味を持っていて、ラスト近くでその役割を果たします。差し押さえの執行官が、家具など、競売の対象になる物件に差し押さえのシールを貼ります。するとこの置き時計がボーン、ボーンと無情に時報を鳴らし、時計に貼られた差し押さえシールがアップで映り、権藤氏の盛衰を表現します。

(協力・三浦さん・原田さん)





↑ 犯人からの脅迫電話、こだま号の列車電話など、この作品の中で「電話」は一つのキーワードになっています。
権藤邸にある電話機を見てみましょう。映画公開当時に私たちの家にあった電話機とはちょっと違った形をしています。今見てもちょっとおしゃれな形をしています。
この電話機を見て当時の観客は「普通の電話機じゃない」と思ったはずです。さすが豪邸、と思わせるに十分な効果を果たした小道具と言えます。

映画公開当時の電話事業は日本電信電話公社で独占されており、電話機は電電公社からのレンタルでした。現在のように好きな電話機を家電店などで購入できるようになったのは、1985年に電電公社が民営化されNTTになってからです。
映画公開当時の電話機といえば、どの家庭でも商店でも会社でも、ほとんど画一的と言っていいほど1952年に供給が開始された「4号電話機」という、いわゆる黒電話(色のバリエーションはあったが)と呼ばれる機種でした。下の写真左がそれです。
撮影に間に合うかどうかギリギリの1963年に新型の「600形電話機」(下の写真右)が登場しますが、しかしこれも権藤邸にあった電話機とは違います。



↑ 左が1952年に供給開始の「4号電話機」、右が1963年に供給開始の「600形電話機」です。ちょっと古い方なら見慣れている電話機ですよね。どこの家もみんなこれでした。

では権藤邸で登場する電話機、これはどういう機種なのでしょう。 調べてみたのですが、これがなかなか分かりません。電電公社が「4号電話機」「600形電話機」と並行して供給していたファッショナブル路線の機種なのか、あるいは海外から輸入された機種なのか。


↑ 同型の電話機が、他の東宝作品にも登場しているのを発見しました。 こちらは社長シリーズの中の「社長外遊記」。公開は「天国と地獄」と同年の1963年です。
小林桂樹が赴任先のホノルルのアパートから日本に電話しているシーンなのですが、この部屋はセット。日本で撮影されたものです。普段見かけない電話機を使って外国の雰囲気を出しています。
「天国と地獄」はモノクロだったので電話機の色はわかりませんでしたが、これを見ると淡いグリーンとグレーのツートンのようです。


↑ こちらも同年公開の「ハワイの若大将」からです。加山雄三がホノルルにある日本料理店を訪れるシーンです。やはり日本でのセット撮影と思われます。


↑ こちらは年月が少し飛んで1966年公開の「社長行状記」からの場面です。このシーンは日本国内の設定ですが、東野英治郎が社長室で同じ電話機で電話をしています。
「社長シリーズ」は、やや現実離れしていると言ってもいいようなモダンさと豪華さを堪能する作品、やはりそれを盛り上げる効果を発揮しています。

以上、「天国と地獄」を入れて少なくとも4作品にこの電話機を見ることができたのですが、改めてこれらを公開日順に並べてみると、

「天国と地獄」1963年3月1日公開
「社長外遊記」1963年4月28日公開
「ハワイの若大将」1963年8月11日公開
「社長行状記」1966年1月3日公開

となります。「天国と地獄」が一番古いのです。 「天国と地獄」では電話機に重要な役割が与えられています。機種は厳選されたものと思います。この電話機は「天国と地獄」を撮影する際に選ばれ、購入されたものではないでしょうか。撮影後、東宝の小道具室に置かれ、のちの作品にも登場。
しかしもちろん、そんなことは想像にすぎず、肝心の機種の特定には繋がりません。うーん、どういう電話機なのだろう。

長い間、機種が分からないままになっていたのですが、「てれふぉん博物館」さんという、日本の電話機を個人で数多くコレクションされている方からお話を伺うことができました。
それによると、この電話機は電電公社から供給されていたものではなく、主にお店や会社などで、増設、あるいは内線電話として使われた私設用の電話機ではないだろうか、とのこと。私設用電話機は、各電話機メーカーから数多く販売されていたそうなのです。
そうだとすると電電公社からの電話機のデザインとは差別化されていて当然です。私設用電話機。今までその可能性には考えが及びませんでした。
さらに「直感ですが、松下通信工業の製品のような気がします。確証はありませんが。何か資料が見つかったらお知らせします」とお返事をいただけました。

それからわずか半月足らず、「てれふぉん博物館」さんからメールで電話機のパンフレットの写真が送られてきました。

あっ!これだ!

間違いありません。やはりこの電話機のメーカーは松下通信工業。パンフレットには「自動電話交換装置」とあります。
「直感ですが、松下通信工業の製品」の直感がズバリ!カッコイイ!さすがです。ありがとうございました。



(2018/3月・記)
(協力・てれふぉん博物館さん・三浦さん・原田さん)


さて、その後「てれふぉん博物館」さんから
「新しく入手した資料によりその名称が「自動式電話機 VB-101」であることがわかりましたので、お知らせさせていただきます。写真を添付しました。
これで、氏は分かれど名は分からずという状態でなくなります(笑)」

とのメールをいただきました。



いやあ、まるで見当もつかず一時はあきらめかけていた権藤邸の電話機。 ここまでわかるとは感動です。「てれふぉん博物館」さんのご親切にも感動です。
(2020/12月・記)








↑ 電話とともにこの映画で大きな役割を果たすのがテープレコーダーです。
通報を受けた神奈川県警が権藤邸に持ち込み、犯人との会話を録音したテープレコーダー、どういう機種なのでしょう。大写しされることはないので判別が難しいのですが、Mさん、Hさんが解明してくれました。



↑ 映画画面に小さく写っている、あまり鮮明ではない画像から特徴を抽出し、インターネット上で検索した画像と比較した結果、これはソニーの「TC-801」で間違いなしの結論が出ました。
左側に実機の写真、右側に映画画面に登場するTC-801の各部の特徴を色分けして示してあります。間違いないですよね。



↑ 当時のパンフレットの表紙です。
「音のタイプライター」。当時やはり小型化し洗練されたデザインになってきたタイプライターを意識した製品なのかもしれません。
SONYのTC-801、見た通りオープンリール式のものです。これでもずいぶん小型化した当時としては最新機種です。公開時に映画を観た観客は「最近のテープレコーダーはずいぶん小さくなった(特に厚さが)ものだ。警察の捜査も進んでいるな」と感じたはずです。
日本にカセットテープが登場するのは「天国と地獄」から3年後の1966年のことです。そのカセットテープももう姿を見ることはあまりなくなってきました。早いものです。

(協力・三浦さん・原田さん)




↑ 「カバンを二つ用意しろ。厚さは7センチ以下。札束はそれにちょうどピッタリ入るはずだ。しっかり閉めて鍵はかけるな。すぐ中身があらためられるようにな。それからそれを持って明日の『特急第2こだま』に乗れ。わかったな、それだけだ」
「どこまで行くんだ」
「乗れば分かるよ、権藤さん」

犯人が指定した暑さ7㎝以下の二個の鞄。警察は捜査の手掛かりにするために、わざと目立つデザインにします。このカバンは「PORTER」ブランドで有名な吉田カバンの創業者である吉田吉蔵氏に特注したものだとの事です。



↑ そのカバンを再現して正確なレプリカを製作された方がいます。栩野幸知さんという方で、栩野さんは若い頃から俳優をされていたり小道具製作など映画関係のお仕事をされている方です。革製品の製作にも詳しく、このカバンの模様はレザーカービングと呼ばれる手法で革に凹凸を付けて表現するもののようです。特徴ある模様は資料写真や映画画面から図面を起こし、できる限り正確に再現されたとのこと。実際にカバンを見せていただき手に取ると牛革製のカバンはズッシリとした存在感があり、「これかあ」と本物と錯覚してしまう存在感でした。

(協力・栩野さん)
(2022年11月27日・記)




↑ 身代金受け渡しの際、捜査の手がかりを掴むために特急の車中で8ミリカメラを回すボースン。
このカメラの機種は何なのか、という、これまた、どうでもいいような話かもしれません。
映画の画面ではカメラの細部はよく分かりませんが、ボースンがカメラ操作の練習をしている撮影風景の写真がありました。これにはカメラが鮮明に写っています。調べてみると、ヤシカの「8-EⅢ」という機種だとわかりました。
当時、ズームレンズはまだ一般的ではなく、ターレットといって、焦点距離の違う3本のレンズを回転式に切り替えて使うようになっています。大小6本のレンズが見えますが大きい3本は撮影用、小さい3本はファインダー用ということらしいです。ボディ側面に見える大きい丸い物はゼンマイのネジ。フィルムの駆動はモーターではないのです。






↑ さて8ミリカメラの次は映写機です。ボースンが写した8ミリフィルムが権藤邸で上映されます。お手伝いさんや運転手に共犯者の心当たりがないか確認してもらうためです。そのシーンであまり鮮明ではありませんが映写機が見えます。
この映写機はアメリカの「Bell & Howell」社製(日本では「ベルハウエル」と呼ばれた)で、「#353」という機種のようです。
8ミリカメラ、映写機とも、ごく簡単な普及機ではありません。といって8ミリなのでプロ用でもないのです。警察の「備品」として適切な選択だと思いました。

(協力・三浦さん・原田さん)




↑ 劇中で事件について書かれた新聞が何紙か映し出されます。
こういう画面はカット尺が短いので、観客は見出しだけしか読めないと想定して、小さい活字の本分は既成の新聞から転用し、関係のない記事が書かれている場合が多いように思います。しかしこの作品では本文もちゃんとこの事件に関してのことが載ってます。
映画の中で説明のない事柄を拾い集めてみました。
従来のDVDや標準画質のテレビ放送では読めなかった文字が、HD画質になって読めるようになりました。

◯ ナショナルシューズ常務取締役権藤金吾氏(四六)
◯ 県下横浜市稲荷山の同氏邸付近
◯ 有名な誘拐事件として、リンドバーグ事件やフランスの自動車王プジョオ事件のような大資本家から金を巻き上げようというのが大きな誘拐事件の特徴だが、金持のスケールという点で権藤氏の場合大分事情が違っている。
◯ 二人とも背格好は中肉中背、三十四、五才と推定される。言葉に関西訛りがあり、又、男の方は喋るときに眼をしばたく癖があるといはれる。
◯ 二個の鞄は茶色でタテ三十五センチ、ヨコ四十センチ、厚さ七センチで両面に百合模様の浮彫りがある。
◯ 五日午後六時すぎ横浜市中区阪東橋三の煙草屋の売り子増田和子さん(一八)が、昼間の売り上げを整理していたところ、たまたま前日県警から配布されてきた浅間台誘かい事件の手配中紙幣番号に記載されているのと同一番号の千円札一枚を発見、直ちに伊勢佐木署にとどけ出た。その番号はNE551930Zで去る三日権藤金吾さんが酒匂川堤防から投じた身代金中の千円札の一枚である。
(ちなみにこの記事は捜査本部発表なのだが、2紙が全く同じ文章)





↑ 犯人、竹内がアパートの自室で事件捜査の経過が書かれた新聞を見ています。
窓の外に隣のアパートのトタン屋根が見え、その上に何か乗っているのが見えます。よく見るとこれ、米軍ジープのフロントグリルです。米軍関係の物が多くあった横浜らしさの表現なのかもしれません。




「天国と地獄」に登場する「ラジオ」について見ていきましょう。

↓ まず登場するのがこのシーンです。
酒匂川で身代金をせしめた竹内は捜査の進展状況が知りたく、アパートの自室で新聞を読み、ラジオのスイッチを入れてニュースを聞きます。
さて、このラジオ、何という機種なのでしょう。



映画画面に写っているラジオの特徴から調べたところ、これは早川電機工業(現・シャープ)製のラジオで「UC-228」という機種だということが分かりました。1959年に発売された製品です。
これを探すのにはちょっと手間取りました。Hさん、Mさんには苦労していただきました。


二つあるツマミのうち、竹内は左側のツマミを右に回してスイッチを入れる動作をします。スイッチ兼ボリュームのようです。ニュースの音声が聞こえてきます。
しばらくすると竹内はニュースの途中から他の局に変えます。その時、竹内は右側のツマミを回しています。これはチューニングツマミなのでそれらの操作は間違っていません。するとラジオからはシューベルト作曲の「鱒」という音楽が流れてきます。「鱒」は竹内が自室に入る直前のシーン、川沿いを歩いている時にも聞こえていました。竹内は電気製品が道路にまで並べられた電気店の角を曲がってアパートに入ったのでした。「鱒」は電気店から聞こえたラジオ放送だったのですね。
ニュースのアナウンサーは田英夫氏です。田氏はのちにジャーナリスト、そして参議院議員になりましたが、作品撮影時は東京放送(TBS)の社員です。ということはニュースはAM放送のTBS(950kHz・当時)です。ニュースを聞くのをやめて違う局に変える時、竹内はツマミを左に回しているように見えます。ということは「鱒」はFEN(米軍極東放送・現AFN・810kHz)?
ところでこのシャープの「UC-228」は真空管ラジオですが、竹内がスイッチを入れて音が出るまでの間が、真空管式にしてはすこし短いように思います。
(協力・原田さん・三浦さん)
(2015年7月14日・記)


そして、ついに!

このシャープの「UC-228」の実物が手に入る日が来ました。
協力者、Hさんが探してきてくださいました。ちゃんと音が出る実働品です。ラジオのAM放送は地デジに変わったテレビと違って、当時と同じ種類の電波ですので現在でも各局が受信できます。
この「UC-228」で竹内が聞いた田英夫が読み上げるニュースとシューベルトの「鱒」を聞いてみたい。当然の願望ですよね。
「UC-228」にはライン入力のような機能があり、レコードプレーヤーなどを接続できるのですが、簡易的なものでコネクターの規格も現在とは違います。そこでスマホなどからの音源を、微弱なAM電波で飛ばして、ラジオで受信する装置を使いました。これもHさんが用意してくれたものです。BluetoothなどではなくAM電波というところがいいですよね。



「天国と地獄」で、このシーン撮影の時はラジオから音は出してないでしょうから、実際に「UC-228」が鳴らしている田氏の劇中ニュース音声と「鱒」の音を聞くのは多分、世界初ではないでしょうか。
(動画中のスイッチ操作や選曲の仕草は演出です。聞こえている音は、音声を再生しているスマホにつながれた「AM送信機」からの電波を受けて「UC-228」が実際に鳴っている音です)

先ほどスイッチを入れて音が出るまでの間が、真空管式にしては少し短いようだと書きましたが、実測してみました。映画ではスイッチを入れて2秒ほどで音が出ていますが、実機では約15秒待たないと音が出ませんでした。やはり少々、というか、だいぶ短いです。



取扱説明書も綺麗な状態で付属しているとは驚きです。モダンなデザインですね。”Duet”という愛称のようです。
(協力・原田さん)
(2017年6月27日・記)


協力者のHさんが面白いサイトを見つけてくれました。 「ラヂオの館」というサイトの中にある「映画の中のラジオ」というページです。
それによると、この「UC-228」、他の東宝映画にも登場していることが分かりました。


↑ 「続 サラリーマン忠臣蔵」(1961)より


↑ 「社長道中記」(1961)より


↑ 「日本一のホラ吹き男」(1964)より

「天国と地獄」は1963年公開の作品です。1961年公開の作品にもこのラジオが登場していますから、「天国と地獄」以前からこのラジオは東宝の小道具室にあったようですね。

↓ さて、「天国と地獄」にはもう一台、ラジオが登場します。
ラスト近く、竹内が警察の罠にかかって腰越の別荘の様子を見に行くシーンです。
開け放した窓から室内が見え、吊られた蚊帳ごしに見えるラジオから音楽が聞こえてきます。
このラジオは何という機種なのでしょう。



この機種も同型のラジオと思われるものが「映画の中のラジオ」に4例記載されています。
リンカーンというメーカーの「5M-W2」で間違いないようです
リンカーンというメーカーはたまに完成品も販売していたけれども、多くはキットでの販売であったとのこと。「映画の中のラジオ」さんでは「東宝の小道具係には『ラジオ少年』がいたのかも・・・」と紹介されています。


↑ 「クレージー作戦 先手必勝」(1963)より


↑ 「クレージー作戦 くたばれ!無責任」(1963)より


↑ 「江分利満氏の優雅な生活」(1963)より


↑ 「女の中にいる他人」(1966)より



映画に登場するラジオの機種を特定し、検証するサイトがあったとは!
素晴らしいですね。このようなサイトがあることを知り、驚きました。
(2019年5月28日・記)
(協力・「ラヂオの館」さん・原田さん・YA SUさん)






↑ 共犯者が竹内に宛てた手紙を手に入れた捜査本部は、それを記者会見で記者たちに見せます。
「ヤクをくれ ヤクを早くよこせ くれなければあの金を使うぞ もうお前の云う亊はきかない」
と書かれた手紙が拡大され、捜査本部に貼られたスクリーンに映し出されます。
それともう一度、捜査本部が罠を仕掛ける目的で竹内に渡すニセ手紙を映写して、刑事たちに見せます。それには、
「ヤクをくれ ヤクをくれなければ なにもかもバラすぞ」
と書かれていました。

この二度の映写時に、やや大ぶりなスライド映写機のような機械が使われているのが見えます。二度とも同じ機械です。これはフィルムのように光を透過しない物、例えば紙とか機械にセットできる範囲であれば書籍などでも映写できる「実物投影機」というもののようです。光源電球からの光線を対象物に当て、その反射光を反射鏡と映写レンズによってスクリーンに投影する仕組みです。(現在では下に向けたビデオカメラで対象物を撮影し、それをテレビモニターなりプロジェクターなりに出力する方法に変わってきているようです)
この捜査本部にある「実物投影機」の機種、なんでしょう。長い間それがわからずにいましたがMさんが見つけてくれました。



↑ Mさんが見つけた海外のオークションに出品されていた実物投影機です。同じ機種に間違いないですね。これが見つかるとは思っていませんでした。
一番右の写真は台座に取り付けられているプレートです。「AIKON EPIDIASCOPE」と書かれています。一方、映画に出てくる機械が一番はっきり写っている一コマでは、機械の側面に「Eikon epidiascope」と書かれたプレートが付いているように見えます。うーん、「A」と「E」(もしかしたら「Σ」(シグマ)?)。「アイコン」という会社の英語表記の変更、あるいはOEM、そんな理由かもしれません。いずれにしろ同じ型式の実物投影機、それは間違いないと思います。

(協力・三浦さん)





↑ 竹内の殺人罪を立証するため竹内を泳がせ、刑事たちが尾行する伊勢佐木町を再現したセット撮影のシーンです。最初観た時、これがセットだとは考えもしませんでした。
楽器店の前で竹内が足を停めます。やはりセットとは思わせないような作り込みがされています。
①の写真は1950年代後半から60年代に活躍したジャズトランぺッター、リー・モーガンです。
②はクラッシック音楽の名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
③はジャズ・ピアニスト、セロニアス・モンクのアルバム「Alone in San Francisco」(1959)のジャケットです。
④は年代物のテナーサックス(おそらく20世紀初頭のアメリカ製)とのことです。ちなみに楽器の上部のネックが前後逆さま(息の入り口、ネックと、音の出口ベル部分が同じ方向になってしまっている)に取り付けられてしまっているのはご愛嬌。

(協力・Daisaku Kaiさん)





↑ 犯人竹内は麻薬の取引のため、酒場に向かいます。ここは黄金町にあった「根岸家」という実在の店がモデルになっているそうで、米軍の外人客も多く、独特の雰囲気です。映画ではもちろんセットでの撮影です。
店内の壁にはいたる所にメニューと値段が書かれています。判読できるメニューを紹介しましょう。数字は値段です。

肉そば 150
鳥そば 150
五目そば 250
シューマイ 100
カツ丼 100
天丼 100
豚鍋 200
桜鍋 120
よせ鍋 170
ハヤシライス 100
チキンライス 100
オムライス 100
ハムライス 100
ポークライス 100
ハンバーグ 100
ポークカツ 100
ヤサイサラダ 100
ビフステーキ 300
トマトクリームスープ 100
紅茶 70
ソーダクラッカー 40
コーヒーデミタス 50
洒落た飲みもの CALORIC PUNCH 150
生ビール 100
BOUR BON WHISKY 200
V・O 280
SUKIYAKI 200
FRIED RICE W/ SHRIMP 250
NIKKA 50
SUNTORY 100
BOUR BON 200
SCOTCH 300
NIKKA COKE 120
SUNTORY COKE 150
WHISKY SOUR 200
GON FIZZ 150
SLOEGIN FIZZ 200

このくらいの値段だったのですね。物価の変動がわかって面白いです。というか、セットを製作した美術の人が「種類とか値段、こんな感じだよね」と想像している様子がうかがえるようで面白いです。
麺類に比べてご飯ものは安いな。NIKKAはお得!。ハムライスって何だろ、ハム入りのケチャップライスかな? ハムをおかずに白いご飯、外人食べないだろうしな。といった感想です。




↑ 胸に目印のカーネーションをつけた竹内は、約束の酒場で麻薬の取引相手を待ちます。するとそこに一人の女性が近づきます。麻薬の売人役の岩崎トヨコさんです。怖いですねえ、怖いですねえ。
彼女はジュークボックスで早いテンポの曲をかけ、ツイストを踊りながら竹内と麻薬の受け渡しを行います。
このシーンで登場するジュークボックスがこれ。アメリカのAMiという会社の製品で、「I-200」という機種です。ちなみに型番にある「200」は200曲から選べるという意味のようです。


↑ ミュージシャンの大瀧詠一氏が選曲したオールディーズの名曲を「Eiichi Ohtaki's JUKE BOX」というタイトルでCD化し、違ったレコード会社3社(ソニー、ワーナー、ユニバーサル)から同時発売という企画がありました。(発売2014、3枚とも内容は違う)
その時の統一仕様のジャケットがこれですが、ここで使われているジュークボックスの写真は「天国と地獄」に登場するものと同型の「AMiのI-200」です。
アルバムに収録されている曲も1950年代から1960年代前半くらいのものが多く、ジュークボックスというものが、やはりこの時代を象徴するモノの一つなのだと思います。





 竹内が川沿いを歩くシーンの3種類の音楽


「ホシの言いぐさじゃないが、ここから見上げるとあの屋敷はちょっと腹が立つなあ。まったくお高く構えてやがるって気がするぜ」と荒井刑事(木村功)がつぶやくと、刑事たちが歩いている川の対岸を、刑事たちとは逆方向に歩いて行く一人の男が映ります。犯人竹内が初めて姿を現すシーンです。
作品ではこの時、BGMとして(川沿いにある電気店のラジオから聞こえる音楽として)シューベルトの「鱒(ます)」が流れます。「鱒」という曲名は知らなくても誰でも聴いたことがある曲で、それがまたこの場面と不思議とぴったり合っていて、印象に残るシーンです。この曲が炎天下に地道な捜査を続ける刑事たちや、世間に騒がれる事件を起こした竹内のいる所でも、いつもと変わらない平穏さを客観的に表しているようで、その対比が印象に残るのではないでしょうか。

最終的にはこのシューベルトの「鱒」が使われたのですが、他にも案があったようです。
一つはアメリカのフォークソンググループ、「ブラザーズ・フォー」の「グリーン・フィールズ」(1960)という曲です。この曲は黒澤監督が大変に気に入っていたらしいのですが、権利の関係で使用は見送られたようです。
もう一つはチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」からのもので、本作品の音楽を担当している佐藤勝によってルンバ風にアレンジされたものです。「天国と地獄」のサントラ盤に「未使用」として収録されています。

(協力・鈴木さん)




 竹内逮捕シーンの音楽はプレスリーだった


ラジオの機種のところでも書きましたが、ラスト近く、竹内が警察の罠におびき寄せられ、腰越の別荘に向かいます。
別荘に近づくとラジオから流れる音楽が聞こえてきます。共犯者がまだ生きていると見せかける警察の罠なのですね。 「0時15分、ミッドナイトミュージック」とラジオは番組のタイトルを告げ、音楽を流し始めます。曲はナポリ民謡の「オー・ソレ・ミオ」。
始めの方は、いかにもラジオの音なのですが、だんだんと音質が良くなり、音量も上がり、いつのまにか劇中のバックグラウンドミュージックになります。心憎い演出です。
前述の竹内初登場の川沿いを歩いているシーンでは、聞こえている音楽が最初は映画のBGMだと思わせておいて、実はラジオからの音だった、というのとは逆パターンというわけです。

ここでの曲、実は最初、エルヴィス・プレスリーが唄う「オー・ソレ・ミオ」(プレスリー版のタイトルは「 It's Now or Never 」1960年のヒット曲)の予定だったのだそうです。 しかしプレスリーを使うと高い著作権料を払わなければならない。そこで音楽の佐藤勝は黒澤から「プレスリーが唄っているような感じで作ってよ」と頼まれ、新たに録音された演奏があのシーンで流れる曲なのだという話をききました。
プレスリー版を聞いてみるとアレンジがそっくりなので驚きます。というか、プレスリーが先なのですが。




 どうやら2種類の音声があるらしい


映画開始から1時間16分、捜査会議のシーンで、犯人に渡す前に予め紙幣番号を控えてあった千円札についての捜査報告場面があります。ここで横浜中華街でロケされたカットが挿入されます。ほんの数秒ですが。
当時劇場で公開された「天国と地獄」では挿入された中華街ロケの部分で、捜査状況を説明する刑事の声にかぶさって、中国風の音楽が流れたのです。中華街で聞こえる現実音という演出です。
ところが現在販売されているビデオソフト(東宝発売のDVD、ブルーレイディスク、輸入されたクライテリオン社のブルーレイディスクで確認)や、テレビで放送された「天国と地獄」(日本映画専門チャンネル、NHK-BSプレミアム、WOWOWで放送されたもので確認)を見ると、中華街ロケの部分では刑事の声だけが聞こえ、音楽が入っていないことに気がつきました。
何故でしょう。実はこの中国風の音楽、他の映画からの流用です。それは同じ東宝映画で岡本喜八監督の「どぶ鼠作戦」(1962)からのものです。しかし音楽の流用は同じ映画会社内なら珍しくないこと。しかも音楽担当はどちらの作品も佐藤勝。権利的には問題ないと思うのですが。
いつから、どういう理由で音楽が消えてしまったのでしょう。ちょっと不思議です。

(2017年4月10日 記)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

と書きました。

映画館で上映された時には確かに「中国風の音楽」が入っていたのに、家庭で鑑賞する「天国と地獄」にはその音が入っていない。それで「映画館での音声」と「テレビ(放送、ソフト)での音声」の二種類があったかのように解釈していました。映画館で作品が公開された時点では「中国風の音楽」が入っていたのだが、テレビで鑑賞できる時代になると、何らかの理由でそれが消されたと。
ところがちょっと違っていました。二種類あるにはあるのですが、「映画館用の音声」と「テレビ用の音声」ではなかったのです。

この疑問についてSさんは東宝に問い合わせました。すると親切丁寧な回答をいただけたそうです。以下、要点を引用させていただきます。

『天国と地獄』ですが磁気立体4ch音声と、モノラル版の2種の音声が存在します。
両方とも初公開時に黒澤明監督の元で作られたもので、「オリジナル音声」となります。
作業としては4ch音声を作った後に、モノラル版を作ったそうです。
捜査会議中に流れる中華街の音声は、モノラル版にのみ収録されています。
現在発売中のBD、DVDには4ch音声を収録していますが、VHSにはモノラル版を収録していました。
(クライテリオン版は4ch音声だと思われます)
なぜ、4ch版に無い音声がモノラル版に入っているかは、監督もスタッフも亡くなった今となっては分かりませんが、当時は4ch音声で上映できる映画館数はそう多くなく、ほとんどの劇場でモノラル版を上映していました。
そこで、上映館による音響効果の違いを考慮して、モノラル版では音声を足したものと思われます。
どちらの音声もオリジナル版です。


そういうことだったのです。
「中国風の音楽」は消されたのではなく、足されたのです。
現在では再生機械の関係でVHSテープを見るのも困難になってしまいましたが、何とか動くVHSデッキがうちにあります。そこでVHS版「天国と地獄」ソフトをオークションで入手、早速捜査会議のシーンを確認したところ、「中国風の音楽」が聞こえました。
VHS版はモノラル音声のはずですが、パッケージには「HiFiステレオ」と記されてあります。実際、聞いてみると音楽が左右に広がりをもって聞こえたり、電話のベルの音が左側から聞こえたりなどと、「ステレオ」のように聞こえます。これはおそらくモノラル音声を擬似的にステレオ化したのではないかと思われます。そしてこのVHS版の音質、人間の声などクリアで案外と良いのです。思わぬ収穫でした。
いやあ、それにしても疑問氷解。Sさんありがとうございました。

(協力・鈴木さん・文中Sさん)




さて音声とは関係のない余談ですが、「VHS版 天国と地獄ソフト」にもう一つ収穫がありました。収穫と言うほどのことでもないかもしれませんが。「切り替えパンチ」(以下パンチ)が入っていたのです。
フィルム上映の劇場映画は映画全編を1巻のリールにすると、とても大きなものになってしまいます。そこで映写機にかかるような大きさのリール何巻かに分けてあります(全編を一度に映写できる映写機もある)。2台の映写機を交互に使い、切り替えることによって途切れ目なく映写するのですが、そのタイミングはフィルムの右上に入った丸い印を頼りにします。それがパンチです。まず1発目のパンチが入ります。その6秒後にもう一回パンチが入ります。それを合図に映写技師さんは間髪を入れずスタンバイさせておいたもう1台の映写機に切り替えます。劇場で見ているお客さんは映写機が切り替わったとは気付きません。
現在の映画ソフトやテレビの映画放送では、パンチはほとんどお目にかかれませんが、昔の深夜放送の映画などではよく目にしました。
「天国と地獄」は10巻のリールでした。ですから9ヶ所(1回に2つのパンチですから正確には18ヶ所)にパンチが入っています。1回目のパンチは開始から14分30秒のこの場面です。黒い楕円がそれです。フィルム上では丸い印なのですが、シネスコなので映写レンズで横に引き伸ばしている為、楕円になっています。






さらにもう一つ余談です。
前述のように「天国と地獄」では岡本喜八監督の「どぶ鼠作戦」(1962)から音楽を流用していましたが、少なくとももう一つ、他の作品からの流用された音楽があります。犯人、竹内を伊勢佐木町で泳がせて刑事が尾行するシーンに登場します。開始から1時間57分あたり、竹内が花屋に入る直前に、街に流れる音楽として女性ボーカルの曲が断片的に聞こえます。これは「美女と液体人間」(監督・本多猪四郎 音楽・佐藤勝 1958)に登場する曲です。クラブ歌手役の白川由美がステージで唄っている場面なのですが、歌は吹き替えで、実際はジャズシンガーのマーサ三宅が唄っています。最初、日本人離れのした流暢な英語の発音と曲調から、外国人によるものだと思っていたのですが、佐藤勝のオリジナルだったのですね。横浜らしい雰囲気を醸しだすのに役立っています。
(協力・Mさん)

逆に「天国と地獄」での音楽が、後に製作された作品で流用されている例を三つほど発見しました。
一つは「殺人狂時代」(監督・岡本喜八 1967)で、竹内逮捕の際の「オーソレミオ」が使われています。
その翌年の「兄貴の恋人」(監督・森谷司郎 1968)でも同じ「オーソレミオ」が登場します。
さらにそのまた翌年の「二人の恋人」(森谷司郎監督の1969)では「天国と地獄」の麻薬の取引が行われる酒場のシーンの音楽(ジュークボックスの音楽が始まる手前の曲)が使われています。
いずれの作品も音楽担当はもちろん佐藤勝です。




 実像と鏡像の不思議なラストシーン

インターネット上に「天国と地獄」について意見を交換し合うある掲示板があり、そこにとても興味深い説が書き込まれていました。
それはラストの、権藤と竹内が刑務所で面会をするラストシーンについてです。
かなり複雑な話で、私にはなかなか理解できなかったのですが、ようやく理解できたように思うので、ここで紹介させてもらうことにします。わかりやすく説明できるかどうか分かりませんが。
まずそのシーンを振り返ってみましょう。


↑ ① 権藤が面会室に入ると、向こう側から竹内が入室します。面会人と受刑者との間には、ガラスと金網の仕切りがあります。


↑ ② 同一カットで両者は椅子にかけます。


↑ ③ ここでカットが変わり、竹内のアップになります。竹内の顔と重なるようにして、ガラスに反射した権藤の顔がうすく写っています。


↑ ④ 再びカットが切り替わり、今度は逆に竹内側から仕切りの向こうにいる権藤を見た構図になります。先ほどのカットとは逆に、竹内の顔がガラスに写っています。問題はこのカットです。

一見、竹内側から権藤を見た構図に見えますが、「実はカメラは権藤側にあって、権藤はガラスに写った鏡像、竹内はガラスの向こうにいる実像。さらにフィルムを裏返している」とするのがこの説です。

要するに、ガラスの向こうから、こちらを見ているように見える権藤は、実はこちら側にいてガラスに写った鏡像。権藤を強く反射させるために、権藤には明るい照明が当てられているはずです。竹内はガラスに反射したもののように見えますが、実は反射ではなく、ガラス越しではあるが直接見ていて、反射に見せるために弱い照明が当てられている。ということなのです。

案の定、うまく説明できてませんね。では下図をご覧いただくと、少し分かりやすいかもしれません。面会室を上から見たところです。


↑ このような方法で撮影すると、↓ こうなります。(映画の画面を反転してみたもの)


↑ このフィルムを裏返すと、↓ このようになり、これが作品に登場する状態です。


フィルムを裏返す前の撮影されたままの画面では、竹内を直接撮影しているのに鏡像に見せ、権藤は鏡像で撮影しているのに直接のように見せているわけですから、それでは左右が逆(髪の流れる方向とか)になってしまいます。ところがフィルムを裏返すことによってその矛盾は解決できます。

カメラを権藤側、竹内側、と切り替えて編集したかのように見せていますが、実はカメラは権藤側だけにあったということです。
↓ ちなみに権藤側から見た竹内のアップ(上記の写真③)と、フィルムを裏返す前の状態を比べてみると、権藤、竹内の明暗が逆になるだけで、プラスチックの通話口の位置、角度など、同じ位置から撮影したかのように構図がそっくり同じです。




この説、その通りなのではないでしょうか。

↓ この説を裏付けることになると思われる材料があります。




↑ 面会の途中で竹内は逆上し、金網をつかんで立ち上がります。面会は打ち切られ、シャッターが下ります。これらの様子を見ると、仕切りの構造は竹内の側から見て、

1 金網
2 シャッター(面会時は開いている)
3 ガラス(白いプラスチック製の通話口がはめ込まれている)

の順であることが分かります。

↓ しつこいようですが、もう一度、問題のカットを見てください。
竹内側から見たとすると、ガラスにはめ込まれた白いプラスチックの通話口より手前になければならないはずの金網が写っていないのです。これが権藤側からの撮影だとしたら、通話口の手前に金網は写っていなくて当然です。



(協力・掲示板投稿者さん・原田さん・三浦さん/参考・「HiVi」2012年10月号)




 自動車図鑑(登場順)

「天国と地獄」にはどんな自動車が登場するのかを見てみましょう。「天国と地獄」は言うまでもなく「現代劇」です。時代の設定は映画が製作された1962年、及び1963年の「現在」。過去の時代を再現しているわけではないので、撮影しているその時代で「こういう人はこういう車に乗っている」という生の認識で選択された車が登場してきます。





開始から0:09に登場
プリムス フューリー 1962年型 (クライスラー)

常務である権藤氏に、会社乗っ取りの目論見話を持ち込んだ三人の重役は、追い返されるようにして権藤邸を出ます。その時に重役達が乗ってきた車です。運転手付きです。ナショナルシューズの社用車、あるいは三人の重役の中の誰かが個人で所有している車なのかは説明されていません。





開始から0:19に登場
ニッサントラック580型シリーズ 1955年より製造 (日産自動車)

誘拐の通報を受けた警察は、デパートの配送員を装って権藤邸に入ります。その時に使われた横浜高島屋のトラックです。
同店は撮影に協力しているので、このトラックはおそらく本物と思われます。日産車です。前述した「トヨタタイアップ説」が事実だとしても、本物が日産製なのでは仕方がなかったのでしょう。





開始から1:00に登場
オペル カピテーン 1959年から1963年まで製造 (オペル)

人質の進一が解放され、「こだま」に乗車していた権藤氏と刑事らは車で酒匂川に駆けつけます。
画面をよく見るとこの車は神奈川ナンバーだということが分かります。事件が起こっても特急「こだま」が予定通り運行されたとすると、カバンを投げた酒匂川通過後、特急が次に停車する駅は熱海。熱海は静岡県です。そこで権藤氏と刑事が下車し、車で酒匂川に向かったとすると、静岡県警に協力を要請したことになるのではないでしょうか。出動してもらう警察車両は静岡ナンバーのはずです。しかし画面に登場する車は神奈川ナンバー。何故でしょう。
考えられるのは一刻も早く進一を保護し、犯人を追うため、熱海まで待たずに手前の小田原(神奈川県)で特急を非常停車、車中であらかじめ要請していおいた神奈川県警に小田原駅まで車を差し向けてもらい、使用したということでしょうか。
いずれにせよこの車を運転している男、初めて見る顔です。この事件を担当している刑事ではないようです。前を向いたまま、感情を表しません。権藤氏が酒匂川沿いを進一に向かって走って行く時も、戸倉警部をはじめ、事件を担当している他の刑事たちは皆、車から降りて走って行く権藤氏を見つめますが、運転手は車に乗ったままです。しかし白ナンバーなのでハイヤーでないことは確かです。
(Hさん・Mさん推測)





開始から1:10に登場
ダッジ ダート 1960年から1961年まで製造 (クライスラー)

戸倉警部と田口刑事が権藤邸からの帰り、稲荷坂を下るシーンに登場します。
権藤邸には戸倉警部と田口刑事の二名が訪れていたのですが、帰りの車中では、その二名は後部座席に乗り、誰と説明のない人が運転しています。
この車は物語の後半、夜の伊勢佐木町セットでの犯人追跡シーンで、車中で指揮をとっている戸倉警部らが乗っている車と同一です。





開始から1:16に登場
トヨペット クラウン(RS-20) 1959年型 (トヨタ自動車)

犯行に使われたのは灰色のトヨペットクラウン59年型ということで、同型の車を白バイの警官が確認するシーンに登場します。





開始から1:23に登場
トヨペット クラウン(RS-20) 1959年型 (トヨタ自動車)

犯行に使われた盗難車が乗り捨てられているのが見つかるシーンに登場。ナンバーは手配中の「神(神奈川)5 そ 3059」。先ほどの白バイシーンのクラウンとは同型、同色ですがナンバーが違う(白バイのシーンでは「神(神奈川)5 す 3573」)ので別車と思われます。






開始から1:26に登場
トヨペット クラウン(RS-31) 1960年型 (トヨタ自動車)

田口刑事と新井刑事が捜査に使用する警察車両。黒塗りのクラウンです。
この初代クラウンは1955年から1962まで製造されましたが、マイナーチェンジを繰り返し、外形からは主にサイドモールの形状で年式が判別できます。





開始から1:27に登場
メルセデス・ベンツ 220S(W180) 1951年から1960年まで製造 (ダイムラー)

青木が運転する権藤氏所有の車です。権藤氏がこの車に乗っているシーンはないのですが、青木が息子を連れて捜査に協力しようとするシーンに登場します。
現在、メルセデス・ベンツのフラッグシップモデルは「Sクラス」と呼ばれていますが、それは1972年に「W116」という車種が発売されてからのことだそうです。
この権藤氏のベンツはそれ以前の「Sクラス」の源流ともいえるモデルとのこと。物語の中の権藤氏に相応しい車と言えそうです。当時のベンツは現在と比べると、さらに限られた層の人たちが乗る車だったのではないかと思います。





開始から1:27に登場
トヨペット マスターライン(RS-26) 1959年から1962年まで製造 (トヨタ自動車)

田口刑事と新井刑事が乗るクラウンの室内からの撮影用車両です。前述したようにセダンのクラウンでは後部座席からの撮影は困難で、クラウンをベースにしたライトバンのマスターラインが使用されたと思われます。
(「刑事が乗るクラウン、外観用と室内用では別車種」の項参照 )





開始から1:29に登場
トヨタディーゼルトラック DA系 1960年以降型 (トヨタ自動車)

田口刑事と新井刑事が腰越の魚市場で漁協の職員に話を聞く場面に登場します。
魚市場にあったとしても、もちろん有り得ないことではないのですが、このトラック、汚れひとつないピカピカの新車です。フロントの「TOYOTA」の文字もはっきりと映ります。これも前述した「トヨタタイアップ説」の所以でもあったのです。





開始から1:54に登場
シボレー ベルエア 4ドアハードトップ 1960年型 (ゼネラル・モーターズ)

犯人竹内が務める病院で、竹内にニセの手紙を渡すシーンです。病院玄関に乗り付ける車が映ります。車種が分かりずらかったのですが、特徴のあるサイドモールの形状から判明しました。



開始から1:27から登場

酒場で麻薬の取引をし、中毒者がたむろしているシーン。その前後にオープンセットによる伊勢佐木町シーンがあります。ここでは車が溢れるように出てきます。ざっと数えても50台以上の自動車が行き来しています。ここは撮影所内です! その中からほんの一部を紹介してみます。


左:ミゼットMP型 1959年より発売(ダイハツ工業)
中:ブルーバード 310系 1959年より発売(日産自動車)
右:初代クラウン 1958年型(トヨタ自動車)


左:初代セドリック(前期型) 1960年型(日産自動車)
中:初代クラウン 1961年型(トヨタ自動車)
右:初代クラウン 1960年型(トヨタ自動車)


左:シボレー ベルエア 1957年型(ゼネラル・モーターズ)
中:二代目クラウン 1962年型(トヨタ自動車)
右:ダッジ ダート (クライスラー) 戸倉警部らが乗っている車(手前)と同色、同型の車が二台重なって映ります。


左:初代コンテッサ 1961年より発売(日野自動車)
中:初代セドリック(後期型) 1962年型(日産自動車)
右:初代セドリック(前期型) 1960年型(日産自動車)





番外 開始から1:16に登場
メグロK1P 1960年から1965年まで製造 (目黒製作所)

灰色のトヨペットクラウンを捜査する白バイの車種が分かったので番外として掲載します。
映画の画面では白バイの全体をじっくり見せてくれないのですが、タンクのサイドのクロームメッキ、エンブレムなどから、今はなきオートバイメーカー、メグロ製でK1という車種、その白バイタイプであるK1Pで間違いなさそうです。
車の前に回り込み、重い白バイを手慣れた取り回しで扱う警官は本物ではないでしょうか。神奈川県警全面協力ということを考えれば有り得ることだと思うのですが。

(自動車図鑑協力:原田さん、三浦さん、安藤さん)




 電車図鑑(登場順)

さて自動車とくれば次は電車です。
作品中に登場する電車といえば何と言っても身代金の受け渡しに使われる「こだま号」。その他にはポールが架線をこする音が捜査の手がかりになった「江ノ電」、列車電話の捜査の時に映る有楽町を走る「山手線」。そのくらいしか出ていないだろと考えていました。しかし通してよく見てみると、けっこう多くの電車が画面に登場していたことが分かりました。

鉄道については全く知識がないので、車種の判別と説明は鉄道ファンであるHさんにお願いしました。鉄道に対しての愛情がとても感じられる説明をしていただけました。ではHさん、お願いします。




開始から0:01に登場
京浜急行デハ300形

タイトルバックで京急の黄金町駅付近が映し出される場面で、高架線路を走っている電車が見えます。 しかしこれは小さく映っているので形式までは特定出来ませんでした。
角ばったデザインの電車なので、当時活躍していた「京急デハ300形」ではないかと想像します。
車体色は現在と同じく「赤色に白色のライン」でした。







開始から0:54に登場
国鉄151系電車

開始から1時間近い密室劇の後に突然映し出される特急「こだま号」。これから始まる身代金受け渡しの舞台となる「こだま号」の鮮やかな登場です。

この国鉄151系電車は、1958年(昭和33年)の11月に東海道本線東京~大阪間を6時間50分で結ぶビジネス特急「こだま」用として登場した日本初のボンネット型電車です。
走行シーンで登場する窓が大きい先頭車(大阪寄り1号車)は、一等車で「パーラーカー」という名前が付いていました。
現在の新幹線にある「グランクラス」と同じような感じでグリーン車より格上の車両でした。
8ミリカメラを持ったボースンはこの豪華な車内を通って先頭の「運転室」に行ったことになります。
ちなみに戸倉警部がボースンに「先頭の機関車の窓から8ミリカメラを回せ」的なセリフがありますが、電車ですので「機関車」の表現は間違えで正しくは「運転室」です。
また、権藤氏と刑事達が乗車している4号車も一等車なのですが、これは現在のグリーン車に相当します。
その隣り5号車が食堂車、6号車がビュフェ車で電話室がありました。
ですので、権堂氏は「車内電話の呼び出し」に応じて比較的早く(1車両分をまたいで)電話室に行けた訳です。



(参考)
当時の「特急第二こだま」の運転ダイヤについて

・東京発 14時30分
・横浜発 14時52分
・国府津駅を通過して酒匂川の鉄橋通過時刻 15時28分
 ※ビュフェ車の壁時計も15時28分
・熱海到着 15時48分


↑ 映画の「特急第二こだま」は、別の時間帯に貸切で仕立てた列車なので、ビュフェ車の壁時計を「15時28分」に動かしたと考えられます。



↑ ちなみに作品の「特急こだま」シーンを見ていると、各座席のシートカバーに「T」の記号が付いていることに気がつきます。さて何の印なのでしょう。これは「東京鉄道管理局」の「T」なのです。






開始から1:13に登場
国鉄101系電車

犯人が列車電話をかけた公衆電話を捜査する場面に登場する、有楽町のガード上を走る山手線です。
この国鉄101系電車は1957年(昭和32年)に登場した国鉄の通勤形電車です。
撮影時の山手線の車両色は「カナリア・イエロー色(黄色)」でした。
映画が上映された1963年(昭和38年)の12月に現在の車体色「ウグイス色(緑色)」に変更となりました。
現在、この電車の試作車両が鉄道博物館に保存展示されています。






開始から1:15に登場
国鉄153系電車

身代金を受け取った犯人が車で逃走するのを目撃した農夫に聞き込みをする場面で、背後の東海道本線の鉄橋上を通過する電車です。
これは国鉄153系電車で、1958年(昭和33年)に登場した急行用(準急用)電車です。
「準急・東海号」でデビューしたので「東海形電車」の別名もあります。
車体色はオレンジと緑のツートーンカラーで「湘南色」といわれ、一般的に「みかんやお茶など沿線の特産品を表現した塗装」と説明されています。
また、先頭車の前面が2色を塗分けされずにオレンジ1色なのは高速運転のため警戒色の意味があったそうです。
当時は国鉄151系電車と同じく「ビュフェ車」も連結されていましたが、こちらには「電話室」がありません。






開始から1:18に登場

犯人が特急の構造に通じている点から、国鉄関係を捜査する場面です。ここは車両基地なのでたくさんの電車が映ります。
撮影場所は東京都港区にあった「国鉄・田町電車区」という車両基地でした。
その後、JR東日本に移行して「田町車両センター」という名称になりましたが、2013年(平成25年)にこの車両基地は閉鎖されました。




↑① 国鉄151系電車(こだま号)
こだま号と同じ国鉄151系電車ですが、このシーンに映る先頭車(東京寄り)は2等車(普通車)で、窓の大きさが一等車の「パーラーカー」とは違って標準のサイズです。




↑② 国鉄111系電車(後の113系とほぼ同じ)
1962年(昭和37年)に登場した両開き片側3ドア・デッキなし構造の近郊形電車です。
先にデビューした国鉄153系電車の前面デザインが採用されています。
この形式の高性能版車両が113系で見た目はほとんど同じで、2011年(平成23年)まで東海道線を走っていました。




↑③ 国鉄153系電車(高運転台タイプ)
上で紹介した国鉄153系電車の運転台が高い位置にあるタイプです。
1961年度(昭和36年度)以降の製造車両は、踏切事故の対策として乗務員の安全性を考えて運転台が高くなっています。




↑④ 国鉄153系電車(基本タイプ)
上で紹介した国鉄153系電車デビュー当時の基本タイプで、鉄道マニアの間ではこちらの方が「可愛い顔」とされています。




↑⑤ 国鉄153系電車(上記のいずれか)
上記の基本タイプ、高運転台タイプのいずれかのタイプです(車両側面や車内設備は同じです。)


(まとめ)
当時の東京での鉄道車両事情を簡単にまとめると
・国鉄151系電車→当時、日本最速で最新鋭の「特急用電車」(機関車が引っ張る客車特急よりスピードが早い)
・国鉄101系電車→山手線とかの都心用の「通勤形電車」(4つドア。当時の京浜東北線や総武線は茶色の旧型電車)
・国鉄111系電車→東海道線の近郊区間(東京ー小田原間とか)の普通列車用に製造された「近郊形電車」(3つドアなのでラッシュ時にも対応。トイレも設置。グリーン車も連結)
・国鉄153系電車→東海道線の「準急・急行用電車」(2つドア。グリーン車やビュフェ車も連結。この車両が朝の通勤時間帯に普通電車として使用されることもあり、その際は大混雑)






開始から1:27に登場
横浜市電 1150形

1150形は1952年(昭和27年)に登場した戦後の横浜市電を代表する形式の車両です。
同じ形式でも色々なバージョンが存在していて、映画に登場する「1150形(1165号車)」は側面窓の上部がバスに似た「Hゴム」仕様でした。
この車両が横浜市青葉区にある「こどもの国」という公園施設に展示されていましたが、いつの間にか撤去されたそうです。






開始から1:30に登場
江ノ島電鉄 100形電車

この車両は「1両単位(単行)」で使用されたために「タンコロ」という愛称で呼ばれています。
また、一般にはこの車両を「100形」と呼びますが、映画の腰越シーンで登場する「107号車」の正しい形式名は「106形107号車」です。
「107号車」は1931年(昭和6年)に新潟鐵工所で製造されました。現在は鎌倉海浜公園(由比ヶ浜地区)に保存、展示されています。
同じグループの108号車は専用の保管車庫に動態保存されていて、たまにイベントなどで走行することがあります。






開始から1:30に登場
江ノ島電鉄 300形電車

この「300形」は、2車両1セットの「連接車」という車両です。
簡単に説明すると本来は連結器がある部分に(幌がある部分に)に2両分をまかなう台車がある電車です。
この方式の電車だとカーブの多い江ノ電の線路でも容易に通過できます。
江ノ島電鉄では最新車両も「連接車」を採用しています。
ちなみに小田急のロマンスカー車両も昔からこの方式です。
なお、この300形電車は色々なバージョンがあり映画では一瞬しか映らないので「号車」までは特定出来ていません。








開始から1:35に登場
江ノ島電鉄 100形電車

上で紹介した100形電車と同じ車両です。
俯瞰のカットなのに乗客はちゃんと「白い夏服」を着ています(冬なのに)
また、カメラから見た車両が逆光で暗くなるので、手前から照明かレフ板で光を当てて撮影しています。

(電車図鑑解説:原田教隆さん)




 天国と地獄・俳優名鑑  登場順・敬称略

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三船敏郎 三橋達也 伊藤雄之助 中村伸郎 田崎 潤 香川京子 江木俊夫 島津雅彦
権藤金吾 権藤の秘書河西 専務馬場 重役石丸 重役神谷 権藤の妻伶子 権藤の息子純 青木の息子進一
 
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佐田 豊 仲代達矢 石山健二郎 加藤 武 木村 功 大塚秀男 吉頂寺 晃
ノンクレジット

ノンクレジット
青木 戸倉警部 田口部長刑事 中尾刑事 荒井刑事 こだま号の乗客 こだま号の乗客
(スチール写真
から推定)
車内アナウンス係
 
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森 今日子
ノンクレジット
渋谷英男
ノンクレジット
松井鍵三
ノンクレジット

ノンクレジット

ノンクレジット

ノンクレジット
葵 正子
ノンクレジット
中西英介
ノンクレジット
ビュッフェの客 ビュッフェの客 ビュッフェの係 ビュッフェの係 先頭車車掌 最後尾車車掌 共犯者の女 共犯者の男
 
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山崎 努 田 英夫
ノンクレジット
小沢憬子
ノンクレジット
清水由記
ノンクレジット
八代美紀
ノンクレジット
山茶花 究 浜村 純 西村 晃
竹内銀次郎 ニュースキャスター 女中 女中 女中 債権者 債権者 債権者
 
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志村 喬 藤田 進 土屋嘉男 宇南山 宏 草間璋夫
ノンクレジット
熊谷卓三
ノンクレジット
鈴木 智 記平佳枝
捜査本部長 捜査一課長 村田刑事 島田刑事 刑事 刑事 小池刑事 たばこ屋前の通行人
 
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鈴木治夫
牧野義介 生方壮児
ノンクレジット
田口精一 伊藤 実 篠原正記
ノンクレジット

ノンクレジット
山本 清
刑事 高橋刑事 刑事 中村刑事 刑事 牛をつれた農夫 白バイの警官 上野刑事
 
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堤 康久
ノンクレジット
名古屋 章 大前 亘
ノンクレジット
児玉謙次
(謙二)
東野英治郎 加藤和夫
刑事 山本刑事 刑事 料金所の係 原刑事 刑事 年配の工員 鑑識課員
 
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沢村いき雄 橘 正晃
ノンクレジット
天見竜太郎
ノンクレジット
古谷 敏
ノンクレジット
清村耕次 熊倉一雄
ノンクレジット
三井弘次 千秋 実
国鉄乗務員 国鉄乗務員 国鉄乗務員 国鉄乗務員 魚市場の事務員 魚市場事務員の声 新聞記者 新聞記者
 
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北村和夫 大滝秀治
ノンクレジット
前田昌明
ノンクレジット
梅野泰靖
ノンクレジット
武内 亨
ノンクレジット
藤原釜足 清水 元 大村千吉
新聞記者 新聞記者 新聞記者 新聞記者 新聞記者 病院の火夫 内科医長 病院の外来患者
 
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清水由記
ノンクレジット
阿知波信介
ノンクレジット
野村浩三 田中 浩
ノンクレジット
記平佳枝
ノンクレジット
小杉芳隆
ノンクレジット
病院の見舞客
女中と二役
刑事 刑事 刑事 刑事 刑事 花屋の店員 酒場の客
 
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久野征四郎
ノンクレジット
松下正秀
ノンクレジット
古谷 敏
ノンクレジット
広瀬正一
ノンクレジット
岩本弘司
ノンクレジット
岩崎トヨコ
ノンクレジット
記平佳枝
ノンクレジット

ノンクレジット
酒場の客 酒場の調理人 酒場の客
国鉄乗務員と二役
酒場の客 バーテン 酒場に現れる女 酒場の客
通行人
花屋の店員と三役
麻薬患者
 
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ノンクレジット
鈴木和夫
ノンクレジット
常田富士男
ノンクレジット
菅井きん 田辺和佳子
ノンクレジット
小野田 功
ノンクレジット
富田恵子
ノンクレジット
麻薬患者 麻薬患者 麻薬街の男 麻薬患者 麻薬患者 麻薬患者 同・殺される女 白バイの警官
 
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ノンクレジット

ノンクレジット
織田政雄 松下猛夫 清水将夫 田島義文 緒方燐作
ノンクレジット

ノンクレジット
ラジオの時報 ラジオのタイトル 裁判所執行官 裁判所執行官 刑務所長 監守長 監守 監守

(協力:原田さん・三浦さん・鈴木さん)



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