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リオの若大将 (1968)監督・岩内克己 |
開始より0:13(東京都目黒区上目黒・旧千代田生命本社・現目黒区役所) 造船会社に就職が決まり、大学生若大将としては最後の作品。シリーズもこれで完結、と企画されていたようだ。星由里子はこの作品でマドンナ役を降りることになる。 いわゆる「68年もの」の若大将作品だ。(1968年という年は、文化的、風俗的に著しい変化を見せた年で、この年の作品は特に68年ものと呼ばれ、現在見ると興味深い作品が多いとされる) たとえば音楽をとってみてもこの作品は1968年という時代を強く感じさせる。ボサノバであったり、サイケっぽいのがあったりという具合だ。加山雄三(弾厚作)はそれらの特徴をうまく取り入れている。悪い意味でなく、器用だなあ、と思う。しかしその中にも、いつもの加山らしい「ある日渚に」という名曲も生まれている。 大学の卒業を控え、雄一と澄子の恋愛物語は今までにない大人の恋を感じさせるものになっている。
「優勝は僕たちがもらったようななもんだな」 「言ったな! よし! じゃあこうしない? 負けたほうが勝った方をご馳走するの」 「いいのかなあ。僕はかなりの大食いですよ。あなたのひと月分の小遣い、パーになるかもしれませんよ」 「まあ! もう勝ったようなこと言うじゃない」 ↓ 田沼(加山雄三)が谷村江美子(中尾ミエ)を訪ね、清明女子大学を訪れるシーン。大学に見立てたロケ地には、目黒区にある当時の千代田生命本社が使われた。 千代田生命本社は村野藤吾氏の設計により、アメリカンスクール跡地に建設されたが、経営破綻後、目黒区に売却され現在は目黒区役所として使用されている。 |
(撮影・2008・04・20) ↑ 目黒区はこの建築に、極力手を加えずに保存しようとしているように見える。それにしても区役所としてはかなりな広大さだ。 |
(撮影・2008・04・20) ↑ この完璧に近い巡礼写真を見てほしい。著名な建築家の設計によるものであるからなのか、40年経ったとは思えない保存状態だ。 (協力・メタBOの若大将さん) |
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開始より0:25(東京都世田谷区桜上水・日本大学文理学部) 京南大学の校門で人を待つ田沼に、車に乗った石山(田中邦衛)が声をかけるシーン。 この京南大学ロケには日大文理学部が使われている。作品を見ると、大学構内はそのまま残っているとしたら美しい庭園風になっているはずだが、残念ながら入ることはできなかった。 |
(撮影・2007・12・30) ↑ 日大文理学部正門前。 門柱はイメージを残して作りかえられているようだ。巡礼日は正月が近かったため、門松が飾られている。 (協力・メタBOの若大将さん) |
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開始より1:36(東京都世田谷区駒沢・駒沢オリンピック公園付近の駒沢通り)
「それじゃあ澄ちゃんはブラジルで誰かと結婚するのか」 「わからないわ。でも今は雄一さん以外の人と結婚する気になれないの」 「あ〜!ちきしょう〜!」 ↓ 若大将のフェンシングの試合が終わり、会場からブラジルに向かうと言う澄子(星由里子)を乗せ、羽田まで送ることになった石山。石山の赤いダットサン・フェアレディ(2代目)が羽田に向けて走る。 |
(撮影・2007・09・09) ↑ ここは駒沢オリンピック公園付近の駒沢通り。特徴のある競技場施設や、幅が広い石段が見える。 |
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開始より1:38(神奈川県横浜市神奈川区子安通2丁目・JR新子安駅、京急新子安駅南側ループ橋〜首都高神奈川1号横羽線子安ランプ付近)
「おい! 石山! 馬鹿なことはよせ!」 「おい! 青大将! 車を止めろ! あっ! カーブだぞ! おいっ!」 ↑ 澄子を乗せた石山の車、赤いフェアレディは羽田に向かうため高速に乗る。 それを追う石山の父(中村伸郎)、江口(江原達怡)、田沼を乗せた黒の初代日産プレジデント。 上の場面、ここまでは間違いなく首都高1号羽田線だ。モノレールが上を跨いで通っている。確かに羽田に向かって走っている。 すると高速がこの先、急カーブにさしかかるようだ、江口が車から身をのり出すようにして、無茶な運転をしている石山に叫ぶ。「あっ!カーブだぞ!おいっ!」 ↓ 次のカットではカーブを曲がる二台の車が映し出される。 観客は当然ここも首都高だと考える。 私も深くは考えていなく、そう思っていた。 そこへ「年齢を騙している若大将」さんからのご連絡。 「首都高シーンで現在の住まい(横浜)の近くでロケが行われていたことに気づき、早速現地の撮影に挑んでみました」 実はこのカーブ、横浜市の京急新子安駅南側の駅前ロータリーから、その上を通っている神奈川産業道路へ螺旋状に登る(「ループ橋」というらしい)連絡道だという。 ここは首都高じゃないのか! (撮影・年齢を騙している若大将さん 2015・02・28 晴れ) ↑ カーブを曲がる二台の車。流し撮りだし、カット尺も短いので、ゆっくり背景を観察している間もない。 矢印① 現在は撤去されているが、京急本線の高圧門型鉄塔兼用の架線注だそうだ。これが撮影地特定の手がかりになったという。 矢印② このビルは外装に手を入れているが当時と変わっていないようだ。 矢印③ 京急本線を渡る踏切。 ↑ 京急新子安駅の北側の歩道橋から見た状況。(撮影・年齢を騙している若大将さん 2015・02・26 曇り) ↓ 急カーブをなんとか曲がり切った石山は交差点を突っ切る。(高速道路で交差点というのも、よく考えてみればおかしな話なのだが) (ストリートビューより・撮影時期・2009・09) ↑ 建設中の首都高速神奈川1号横羽線のランプを登り、神奈川産業道路を横切る石山の車。ここは自動車専用道路なので立ち止まっての撮影は不可能。現在の写真はストリートビューから。 ↓ するとその先は工事中のため通行止めになっていて、石山の車はそこへ突っ込み、ようやく止まる。 (ストリートビューより・撮影時期・2009・09) ↑ ここも自動車専用道路。 遠くに見える鉄塔や工場の建築物が一致。一番左の矢印は料金所ゲートの鉄骨。 (ストリートビューより・撮影時期・2009・09) ↑ 首都高神奈川1号横羽線の、浅田出入口-東神奈川出入口間の開通は1968年7月19日ということだ。その区間内にあるこの子安出入口が工事中というのは、撮影時期的(「リオの若大将」は1968年7月13日公開)にも合致する。 (ストリートビューより・撮影時期・2009・09) ↑ 嘆く石山を励ます石山の父親と江口。 ここも石山が工事中の所に突っ込んだ同じ場所かと思いきや、ちょっと違う。背景にビルが写っている。これは当時の日本ビクター本社(現JVCケンウッド)。これが見える遠近感と高速ランプの様子から判断して、ここは石山が最初に止まった位置からは数百メートル離れた位置になる。 ↑ このシーンの撮影地点を地図で表すと上図のようになる。 年齢を騙している若大将さん、今回は情報ありがとうございました。 脚本上、ヤケになった石山が、無茶な運転で高速の急カーブでハンドルを切りそこない、工事中の場所に突っ込むという状況を設定をし、それに似合ったロケ地を探したのか。それとも、そういう設定にはぴったりの場所が、工事中の今なら撮影可能なのを知り脚本に取り入れたのか。どちらなのだろう。 |
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自慢コーナー 田能久マッチ |
田沼はリオの日本料理店で、旅行社に勤める澄子と出会う。 その時田沼は名刺代わりとして、田沼の実家であるすき焼き屋「田能久」のマッチを渡すシーンがある。 |
マッチを受け取った澄子は一瞬そのマッチを裏返し、裏側のデザインを見ることができる瞬間がある。そこには田能久のマークになっている家紋「上り藤」が印されているのが見える。 |
↑ 以上の資料を元に「田能久」マッチを再現してみた。 マッチ店で何も印刷をしていない無地のマッチを購入し、プリンターで印刷した紙を貼り付けてみた。なかなかの出来である。笑。 |
↑ 2007年のこと。メタBOの若大将さんの企画により、ロケ地探訪好きが集まり、浅草今半別館で京南大学同窓会と称して食事をしたことがある。私はみんなを驚かそうと思って上記のマッチを予告無しにいくつか持参した。「えー!こんなの作ったんですか!」と言われたくて。 すると今半でメタBOの若大将さんも何かゴソゴソ取り出した。それが上写真のマッチ。これもみんなに配るために大量に製作されてきた。 「いやあ、考えることは一緒ですね」と大笑い。 このマッチ、今半別館さんにも差し上げて、入り口の鴨居に飾ってもらった。 |
↑ そしてそれから二年経った2009年、「日本映画専門チャンネル」で「東宝娯楽シアター」という企画がスタート。若大将シリーズも放映されることに。その特番として「素晴らしき『若大将』の世界」という番組が放送された。その中で照子役の中真千子さんが今半別館を訪れる。その時チラッと映ったのが、この店で若大将のロケが行われた記念に飾られた写真の脇に鎮座している一個のマッチ。よく見るとこれは二種類ある「田能久マッチ」の中の「メタBOの若大将タイプ」だ。 |
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