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ハワイの若大将 (1963) 開始から0:03



若大将(加山雄三)と江口(二瓶正也)がヨットの練習をしている。
そこに女性の操縦するモーターボートが近づく。操縦しているのは、どうやら澄ちゃん(星由里子)のようだ。
ヨットとモーターボートがよけきれず衝突!!
三人は海に投げ出される。
ヨットから飛び込む若大将と江口は本人だろうか。
それはこの際、どっちでもいい。
どっちでも良くないのはモーターボートから海に飛び込む澄ちゃん。
これは 「男」 だな!
それも、そうとう「ガタイ」がいい。

(協力:麻布田能久さん)




アルプスの若大将(1966) 開始から0:45

若大将たちスキー部は苗場へ合宿に向かう。若大将は上野駅前の公衆電話から、丸の内にあるPan American航空のオフィスに勤める澄子にその事を伝える。上野発5時15分(17時15分)発の列車で出発すると。
澄子の仕事場に折りよく青大将が顔を出す。
澄子は「5時に仕事が終わるんだけど、(車で)5時15分までに上野に連れてってくれない?」と青大将に頼む。
丸の内で5時に仕事が終って、5時15分までに上野。ちょっと難しいように思う。
しかし、それはまあ、いいとしよう。絶対とは言えないから。

↑ 青大将の車で上野駅に着いた澄子。ぎりぎり5時15分だ。
しかしちょっと待ってほしい。スキーをやる季節の東京の5時15分としては明るすぎないか?
映画では何月何日とは言っていない。しかしまあ、これはいくらなんでも明るすぎだろう。
ところがさらに、これはどうしたことか、と思われるのが次の場面。

↑ 結局、澄子はぎりぎり出発には間に合わなかった。この場面は列車が発車した後の上野駅ホーム。ということは17時15分を過ぎているはず。
若大将を見送ってホームに立つリシェンヌ(イーデス・ハンソン)の後ろの掲示を見てほしい。
次の発車は「特急はつかり」で発車は「13:15」!!
空はもちろん明るい。

(協力・年齢を騙している若大将さん)




アルプスの若大将(1966) 開始から1:31



本作品のラストシーン、マッターホルンの麓をスキーで疾走するシーンでは、江原達怡さん(江口役)が星由里子さん(澄子役)の代演したというのは有名な話のようだが、その辺を確認してみた。
まず言えることは、加山雄三さんはスキーがとても上手だということ。国体に出たこともある。江原達怡さんも劣らずスキーが得意だということ。しかし星由里子さんについては分からない。

シーンのカット割りを見てみよう。



↑ 画面奥から何人かがスキーで滑ってくる。先頭は上半身に赤いスキーウェアを着ている。この人は画面右に切れて写らなくなってしまう。
次に青いスキーウェア。カメラは右にパンしてこの青いスキーウェアの人物を追う。

すると同一カットで、先ほど画面右に切れた赤いスキーウェアの女性が止まって待っている。赤いスキーウェアは澄ちゃん(星由里子)だったのか。青いスキーウェアの人物は若大将(加山雄三)だったのだ。

この赤いスキーウェアで滑っているのが実は江原達怡さんだという。江原さんは画面から切れると、どこか写らない場所に去ってしまう。
星さんはあらかじめ立って待っていて画面に入る。
このようにしてワンカットの中で江原さんと星さんが入れ替わっている。すごくうまい工夫だ。



↑ 次に何カットか挟んで、二人は見事なスキーさばきで去っていく。そしてENDマーク。
この時の澄子も江原さんが演じているのだろう。

さてさて、ここからが重箱の隅。
先ほど、間違いなく星さんご本人が演じていた澄ちゃんは、上半身赤いスキーウェアに白のズボン、白い帽子だった。 ところがシーンの最初に向こうから滑ってくる澄ちゃんは上半身は赤いスキーウェアだが、ズボンは黒っぽい色。 帽子も白ではないようだし、袖口も白くない。
澄ちゃんと若大将の会話があってカットが切り替わり、滑って去って行く澄ちゃんはちゃんと白いズボンに白い帽子。これも江原達怡さんのはずだが。

あくまで推測。
白いズボンは一着しかなかった?
最初の向こうから滑ってくるカットでは、白いズボンは星さんがはいているので、江原さんは仕方なく黒っぽいズボン。
去っていくカットは星さんが登場しないので、江原さんが白いズボンを着用。
江原さんはスリムな体型なので、それも可能かと思われるのだが。
青いスキーウェアは全部加山さんだと思われる。




南太平洋の若大将(1967) 開始から0:58

すき焼き調理の指導でホノルルを訪れた雄一(加山雄三)は和食レストラン「KYOYA」の孫娘、由美子(前田美波里)といっしょにカワイ島に行き、サーフィンを楽しむ。
空撮画面に「カワイ・サーフ KAUAI SURF」と表示される。ここはハワイ諸島の中の「カワイ島」。 現在の日本では「カワイ島」より「カウアイ島」と表記する方が一般的だが、当時は「カワイ島」とも呼んだ。それは自分の名字と同じなので親しみを覚えたものだ。以下ここでは作品の中で採用されている「カワイ島」と呼ぶことにする。




(Google Earthより)

「カワイ・サーフ KAUAI SURF」と書かれた空撮シーン(これは間違いなくカワイ島)の直後、雄一がサーフィンをするシーンになる。当然カワイ島でのシーンと誰もが思う。由美子が「雄一さん、カワイ島は初めて?」と聞くと雄一が「ああ。ホノルルは大都会だから、こっちの方が本当のハワイみたいだな」と答えるセリフもある。

ところがちょっと待ってほしい。
下の三組の比較写真の左側は映画のカワイ島でのサーフィンシーン。右側に並べたのはカワイ島ではなく、ホノルルがあるオアフ島の東部、カイルアビーチで撮影されたもの。沖に見える特徴のある島の形状から、明らかにここはカワイ島ではなくオアフ島のカイルアビーチだ。
この後、雄一らはカワイ島からヘリコプターに乗り込み、ハワイの大自然を満喫し、ホノルルのあるオアフ島へ戻って来る、ということになっているのだが、推測するに、俳優さんたちはカワイ島へは行っていないと思う。







このことを教えてくださったのは、私が仕事でお世話になっている公認会計士のH先生。
「河合さん、ところで最近、BSで放送されている若大将シリーズ見てるんですけど面白いですね。この前は『南太平洋の若大将』をやっていたのを家内と見ましたよ」
「あの作品に出てくる雄一が通う大学の撮影地は私の母校、日大二高なんですよ」
「知ってます。『荻窪東宝』で見ましたから」
「そんなこと先生に言いましたっけ!」
「知ってますよ。それでですね、『南太平洋の若大将』を見ていて気がついたんですけど・・・」
H先生はハワイ通でハワイの景色には詳しい。
思わぬ所から情報をいただいた。(2014/12/10記)

(情報提供:橋本先生)




ゴー!ゴー!若大将 (1967) 開始から0:32

若大将が物干し台の上でトランペットを吹いている。
よく見ると、その向こうに黒い棒のようなものがブラブラ動いている。
もしかしたらこれは集音マイクが写り込んでしまったのかもしれない。

この物干し台はロケ撮影。ここがどこだか知りたくて、facebookのロケ地探し仲間で何度も何度も見なおした場面。だからこのマイクらしきものを見つけることが出来たというのは思わぬ副産物。
さて、ここは何処でしょう。赤坂なんですね。その件についてはいずれまた。



(協力・GIFアニメ製作:麻布田能久さん)




リオの若大将 (1968) 開始から1:40



↑ 若大将もついに京南大学を卒業することになり、赤坂プリンスホテルの会場では謝恩会が開催されている。雄一は造船会社に就職が決まり、ブラジルに赴任することになっている。会場に澄子もお祝いに駆けつける。雄一はバンドをバックに「ある日渚に」を唄う。


↑ 謝恩会の会場が俯瞰で映される。
歩きながら唄う雄一がアップになる。


↑ 場面は一転、コンクリートの大きな建造物が映し出される。赤坂プリンスではない。女性が一人、階段を駆け上がっていく。雄一の歌は途切れることなく続く。


↑ 振り向く女性。あっ!澄ちゃんだ!
ロングショットで小さく澄子が写るカットに切り替わり、彼女は走っていく。
ここはどこなのだろう。日本ではないようだ。リオなのだろうか。


↑ 高い場所の手すりのところで澄子を待ち受ける雄一。
澄子は階段を駆け上り、カットが切り替わり振り向く澄子。


↑ 澄子が駆け寄り、二人は抱擁。二人の顔は映らない。


↑ するとカメラはすぐに上に向き、リオの風景に。そして「終」マーク。

賢明なる皆様はすでにお気づきと思うが、

加山雄三はリオに行っているが、星由里子はリオには行っていない。
小さく写る澄ちゃんは、代演の方のようだ。しかし遠目には身のこなしなど、結構似ている。
抱擁の直前で振り向く澄子のカットの時に映る手すりは、現地のものと形状が一致している。合わせて作った物なのだろう。

私はこのシーンが大好きだ。リオに星由里子がいなくても、澄ちゃんが会いにきてくれた感動がよく伝わってくる。それに最後のところで澄ちゃんが若大将に駆け寄り、抱擁したかしないかの瞬間でカメラが上を向き、リオの風景。エンドマーク。台詞は無し。洒落ていると思う。
プロデューサーの藤本真澄氏は「若大将にキスシーンは要らない。明るく楽しい東宝映画なのだから」と言っていたそうだ。最後のロングショットの一瞬の抱擁は、ギリギリの表現だったのかもしれない。

もう一つ余談。 このロケ地、リオにある競技場のようなところ、と思っていた。ブラジルなのだからサッカー場か何かだと。 画面に映る風景から位置を特定してみると、ここは美術館なのだと分かった。

(協力・麻布田能久さん)







クレージー黄金作戦(1967) 開始から0:29



ハワイを訪れた町田心乱(植木等)、板垣重金(ハナ肇)、梨本金男(谷啓)の三人はワイキキの浜辺で日光浴を楽しんでいる。すると植木がおもむろにウクレレを取り出し、加山雄三の曲「二人だけの海」を唄いだす。
とたんに浜辺にいた女の子達が植木の周りに集まって来る。そこに植木の歌を遮るように本物の加山雄三が現れる。すると女の子達はみんなそちらへ移ってしまう、というシーン。

クレージー映画に突然若大将が現れ、植木、加山、夢の顔合わせというわけなのだが・・・。
このシーンの流れを順を追って見てみよう。


↑ 植木が唄うと女の子達が集まり出す。ここは間違いなくワイキキ海岸だ。
この女の子達、全員美人だしスタイルも抜群で、タレントさんかモデルさんのようだ。 女性についた番号については後ほど。



↑ 続いて若大将が唄いだすと女の子はそっちに行ってしまう。ここもワイキキ海岸だ。ハナ、植木、谷の三人は代役なのだろう。向こうを向いて顔を見せない。
「Hilton Hawaiian Village GUESTS ONLY」とプリントされたビーチチェアが見える。



↑ 上の画面と連続した同一のカットだ。カメラがズームアップすると本物の加山だということがわかる。
女性に付いた番号は、水着の模様、髪の色などを比べて、植木の周りに集まった場面の女性と、この加山に移って行った女性が同一人物かどうか比べてみたもの。どうやら同じ女性のようだ。ということは、クレージー、加山の撮影時それぞれに、同じ水着を着た同じ女性にもう一度集まってもらったことになる。



↑ そしてその加山を恨めしそうに見るクレージーの三人。ここはワイキキ海岸ではない! 神奈川県の江ノ島〜茅ヶ崎あたりの海岸だ。
砂浜には椰子の木に見えるように木の幹が立てられている。



↑ ここで突然撮影所での加山に切り替わる。背景の空はホリゾント(背景用の布製の幕)だ。女性は6人しかいない。さすがに美人のワイキキ女性達もここまでは来なかった。女の子達が素人っぽい。



↑ そしてまた江ノ島〜茅ヶ崎あたりの海岸。
若大将が遠ざかって行くが、どうやら本人ではないようだ。そのため大写しできず、ここでの外人女性(人数がまた増えた)は顔もろくすっぽ見えない。
クレージーの三人は本人だ。
三人が座っているビーチチェアーには、ワイキキで使われたのと同様にホテルのプリントがされている。持ってきたのだろうか。衣装は勿論、後ろにかかっているタオルもホノルルの時と同様だ。
茅ヶ崎沖にある烏帽子岩(えぼしいわ)が遥か水平線に見える。

「二人だけの海」一曲の歌を唄うシーンだけで、ワイキキ、撮影所、湘南の三カ所での撮影が行われている。それを同じ場所に見せようと大苦心をしている。
中でも特に面白いのはワイキキのカット。クレージーの三人も加山も、ワイキキにいなかったわけじゃないということ。ただ同時にはいなかったというだけのこと。
「南太平洋の若大将」がこの「クレージー黄金作戦」と同じ1967年公開なので、加山のカットはそのとき撮られたのだろうか。
それと何といっても圧巻なのは、ワイキキにいるニセ植木、ハナ、谷の後姿が似過ぎていること。完璧である。これはすごいと思う。
(2012年記)

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と書いた。

これであの一見して不自然だな、と思ったり、うまくつなげたな、とも思う複雑怪奇な浜辺シーンは解明できたと思った。
ワイキキにいるニセ植木、ハナ、谷の後姿が似過ぎていてすごいとも書いた。

ところがこのワイキキシーンの複雑怪奇さ、もっと深い意味があるのかもしれない。撮影自体は単純だが事情が複雑怪奇だったということか。

シー9156さんは言う。
「クレージー黄金作戦でハワイのクレージーと若大将は別撮りと書いてありましたが、あれは本当に共演していると思います。自分も映画を観た時は別撮りだと思いました。どう見てみても別撮りっぽいですからね。
しかし'97年に発行された某誌に植木と加山が一緒に写っている撮影時の写真があります。つまり同じ時に同じビーチにいたのであり、別撮りではなかったと思います。
別撮りっぽく見えたのは、遠目に小さく映るのはともかく「アップの場合は(クレージーと一緒にせず)加山のみで」のような契約があったのではないでしょうか」



そうか。なるほど。そういう事情があったのかもしれない。いや、おそらくそれが本当のように思える。
手前に向こうを向いて顔が見えない植木、ハナ、谷の三人がいる。遠くにギターを弾き唄う若者がいる。カメラは若者にズームする。植木、ハナ、谷は画面から切れる。若者は加山だということが分かる。
加山とクレージーは同じ画面に入れない。顔を見せないクレージー三人の後姿と加山。ギリギリの判断だったのだろう。

いやあ、ますますこのシーンの深みを感じました。
この項、二枚目に掲げたワイキキビーチでの説明写真、下の説明写真に訂正いたします。
(2015年10月記)(協力:シー9156さん)



それにしても、そういう制約があったにしても、江ノ島付近をワイキキに見せたり、スタジオの中をワイキキに見せたり、わざわざ三ヶ所での撮影の必要はどうしてあったのだろう。全部のカットをワイキキで撮影はできたはずだ。謎は残る。




零戦燃ゆ(1984) 各所に登場


言うまでもなく、太平洋戦争当時を描いた作品。
基地を縦横無尽に走る日産サニートラック。通称サニトラ。これはどうしたことか。
登場するこのサニートラックは、フロントグリルから判断して、どうやら「2代目B120型」と呼ばれる型のようだ。1977年から1989年まで生産されている。映画の製作は1984年。当時新車として販売されている。


日産サニートラック(中期型1977年ー1989年)

(情報提供:Mさん)




三大怪獣 地球最大の決戦(1964) 開始から1:15


↑ サルノ王国の王女(若林映子)の暗殺を企む一味が濃紺のメルセデス・ベンツに乗って山道を走っている。
詳しい型式は分からないがとにかくベンツだ。
左ハンドル仕様という所にも注目しておいてほしい。


↑ キングギドラの攻撃でガケ崩れがおき、ベンツは下敷きになってしまう。
これはミニチュアによる撮影だ。けっこう大きいスケールで作ってあるのだろう。同じ型のベンツがよく再現されている。


↑ つぶれたベンツから這い出そうとする一味。
いや、これはベンツじゃないぞ! ピラーの形状や後ドアの開く方向から見て、これは間違いなく初代トヨペット・クラウンだ。
体で右ハンドルであることを隠しているようにも見える。


↑ 初代トヨペット・クラウン




狙撃 (1968) 開始から0:48

高級車は壊れると何故か形が変わってしまう例をもう一つ。
映画「狙撃」で松下徹(加山雄三)はプロのスナイパーだ。愛車はジェームス・ボンドも乗った名車「トヨタ2000GT」。



ある日、松下がテストコースで2000GTを運転中、何者かにタイヤを狙撃され、車はスピンし、横転してしまう。
スピンするまでは間違いなく2000GTなのだが、ひっくりかえると何故だか違う車に形が変ってしまう。







さよならジュピター (1984) 開始から0:56



木星を太陽化する計画が進められている2125年、宇宙間の連絡に使用されているテレビ電話のレンズは1962年に発売されたオリンパスペンというカメラのレンズ。(現在のデジカメのオリンパスペンではなく、フィルム時代のオリンパスペンEESというモデル)





モスラ対ゴジラ(1964) 開始から0:12



ホテルの一室での興行師、熊山(田島義文)。背後に絵皿が飾ってあるのに注目してほしい。そして壁に架けられた絵とサイドボードに置かれた本のようなもの。



そしてここに写っている二人の小美人(ザ・ピーナッツ)は作り物ではなく本人だ。
小美人は30センチ足らずの身長ということなので、約6倍の大きさで作ったセットの中で演技をしている。
絵皿や絵や本、壁紙の色調や質感、本当に良く出来ている。
小美人はこの後、ソファーなどの置かれた床を逃げるのだが、そのあたりの様子も素晴らしい。作り物という感じがしないので、通常サイズ(人間が等身大)と6倍サイズ(小美人が等身大)の切り替えが自然で、まったく違和感を感じない。
これをご覧になられている方は「実物大と6倍サイズのセットに何か間違いでもあるのだろうな」と思われるかもしれない。確かに配置などに多少の違いはあるのだけれど、それはそれこそ「重箱の隅」とつつくというものだろう。ここでの本題はそんなことではなく、この小道具の絵皿が他の作品にも登場しているということなのだ。次の写真を目を皿のようにして見てほしい。

↓ 社長洋行記(1962) 開始から0:13>
この「社長洋行記」、1962年の公開だ。「モスラ対ゴジラ」は1964年。この営業部長(加東大介)宅に登場する絵皿は「モスラ対ゴジラ」からの使い回しではなく、こちらの方が先だということが面白い。
「モスラ対ゴジラ」では小美人の小ささを表現するために「ありもの」の小道具を元に、その6倍のサイズの小道具(?)が作られたことになる。
「社長洋行記」では何気なく置かれたこの小道具、「モスラ対ゴジラ」では大きな役割を担うことになるわけだ。



↓ 社長紳士録(1964)
「モスラ対ゴジラ」と同年の1964年、「社長紳士録」が公開されたが、ここでも同じ絵皿が登場している。



↓ 緯度0大作戦(1969)
「モスラ対ゴジラ」から5年経った1969年、「緯度0大作戦」が公開されたが、再び同じ絵皿が登場している。
(協力:Tさん)



この絵皿、まだ撮影所の倉庫に眠っているのだろうか。




フランケンシュタイン対地底怪獣 (バラゴン)(1965) 開始から0:04



第二次大戦末期、ドイツの科学者が研究を続けている「永遠の命」を連合軍の手から守るため、日本に移送する極秘計画が立てられる。日本海軍の潜水艦に載せられたフランケンシュタインの心臓は大西洋からインド洋へと航行し日本に近づく。偵察するアメリカの飛行機からその様子が俯瞰で映し出される・・・あれ?左上に何かヤグラのようなものが??
(協力:Tさん)




言うまでもないことですが、東宝作品を愛するがゆえの詳細な鑑賞の結果であり、善意を持って「重箱の隅」をつついています。
また、文中で敬称は省略させていただきました。

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